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cogito ......


東明しののめ の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく、、、、、小旗の如く涕なかんかな

    或あるはまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
    海の上への風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

       中原中也「老いたる者をして」- 詩集「在りし日の歌」より

2016-05-27

ホセ・カレーラス「光さす窓辺」


カレーラスの歌は、二人で好みが一致して繰り返しよく聴きました。


2016-05-24

近影


きのう、私の手元に届いた久子の近影。私も初めて見る写真です。

2016-05-20

人間の尊厳


辛かったこと、嫌だったこと、腹が立ったこと・・・思い出さないように、忘れるように、しよう。 久子は、もう、釈明することも、詫びることも、できないのだから。
そう思ってきた。

2016-05-18

妻久子 永眠


5月13日 16:03 妻久子が療養先の施設で呼吸不全のため永眠しました。71才でした。

2016-03-30

モチベーション低下


最近特に体調がよくなくて、といってもやることに追われているわけでもないのですが、身辺に次々と起きたいろいろなことにすっかり気持ちが沈み、モチベーションが下がってしまっています。

2016-03-29

Wikipediaの嘘 (石川啄木への中傷)


Wikipedia の「石川啄木」と題する記事 注1においては、石川啄木氏に対する誹謗中傷を客観的事実に反する記述をもってその内容を裏打ちしており極めて悪質です。

2016-03-20

RSS Feed URL 不具合対策 (2018.5以降変更 正誤が逆に)


*** Blogger の URL 仕様が変更されたため (2018年5月頃)、本記事は陳腐化し、この内容は正しくないものになっています !

改訂版 → RSS Feed URL 不具合対策 改訂版: 2018年12月

2016-03-17

ブログ引越しました(なぜプログを書くか?)


ブログをこちらのサイトに引越してきました。
サイトが変わっただけで、内容は良くも悪くも変わるところはありません。 内容は変えられないまでも、旧ブログをなんとなく始めてから半年にもなるので、これを機に少し気持ちの整理だけはしてみました。

2016-02-19

土居裕子さん:ブラームスの子守歌


先日「カヴァレリアルスティカーナ 間奏曲」について書いたとき、 “今際の際” にはこの曲を聞きたい記しました。
しかし、……

2016-01-29

「カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲」

転送

この記事にはプレートル氏による実演のビデオを埋め込んだ新しい記事があります
新しい記事へのリンクは次:「G.プレートル "カヴァレリア・スルティカーナ"」

  なお、15秒後に自動的に新しいページに移動します。

2016-01-23

ミヒャエル・エンデ 「モモ」巻頭詩


20年ほど前に読んで、今なお折に触れて思い出す詩です。エンデの小説「モモ」、その巻頭に掲げられている詩です。今なおキラ星のごとく世にひかり輝いています。

2016-01-02

「こどものじかん‐未来へ‐」土居裕子さん


「せみ・ミーセ・せみの歌」が収録されているディスク「こどものじかん‐未来へ‐」を大晦日に注文したところ、なんと、元旦に届いた。
馴染み深い童謡などに加えて、自身で作詞・作曲された「キズナ」が含まれています。
この歌が使われているJAXA作成の動画 "キズナ~月に還るかぐやに寄せて~" を埋め込みます。

2015-12-12

ポール・ラッシュ博士 清泉寮

36年前のこの日、ポール・ラッシュ(Paul Rusch)博士が亡くなりました。

「昭和五十四年五月十五日、清里で寝たきりの生活のポールを世界聖公会の最高権威であるアーチビショップ・オブ・カンタベリーのラムゼイ主教が見舞った。彼は英国王室への王位授与者でもある。ポールの最後の栄誉だった。
その年の暮れ、病態が悪化したポールは十二月十二日午前零時三十二分、聖路加国際病院内科病棟で永眠した。
(中略)
最後を見とったのはそれまで二十年間メードとして付き添った中田リセだった。眠るように亡くなり、きれいな死に顔だったという。八十二歳の最後までアメリカ人の誇りを忘れず、日本人以上に日本を愛した生涯だった。」

山梨日日新聞社記者、井尻俊之さんは新聞紙上の連載記事「清里の父 ポール・ラッシュ伝」 (1984) をそう結んでいる。

関東大震災で被災したYMCAの復興のために派遣されてケンタッキーより来日し、その仕事を終えた後も日本にとどまり、56年に渡り生涯を日本のために捧げた。

ルドルフ・B・トイスラー博士と共に聖路加国際病院の殆どゼロからの設立に奔走し、その活動を通じて博士の不屈の精神、資金集めの手法、そして真のミッションとは何かなど多くを学んだ。

戦雲怪しくなり本国から退去の勧告がでても日本に留まることに固執していたが、開戦後強制送還されると、リメンバー・パールハーバーが渦巻くアメリカ国内で、多くの日本人は戦争を望んでいない、彼らは将来必ずアメリカのよき友人になると説いた。日系人立ち退き命令、それに伴う日系人強制収容所、これらを見たポールはパネル討論会を開き、アメリカ市民の日系人迫害と、それと同じ精神に支配されている日本を、共にヒットラーも同じだ、と糾弾したことを伝記記者は記す。

「有刺鉄線の中で差別に耐えている約十二万人の日系人たちに、われわれの言葉で、行動で見せてやろうじゃないか。民主主義の意味するものを、人類の正義とは何かを、個人の自由とは何かを、そして真のアメリカを―」(清里の父 ポール・ラッシュ伝より)。

この引用に述べられている彼の意志、そこにポール・ラッシュが生涯をかけて日本に留まり働き続けた理由と原動力があると思う。
そして、戦後、清里に農村コミュニティーを設立、それは清里農村センター、 KEEP (Kiyosato Educational Experiment Project) へと更に発展する。

現在、清里の清泉寮に KEEP(公益財団法人キープ協会)の本部があり、ポール・ラッシュ記念館が併設されています。
2004年刊「清里の父 ポール・ラッシュ伝」第三版 (初版は1986年)
サイドバーにKEEP協会と清泉寮へのリンクを掲げます。

Ref.:
      Elizabeth Anne Hemphill 1969「The Road to KEEP」
      山梨日日新聞社編 1986「清里の父 ポール・ラッシュ伝」
      財団法人キープ協会 1997「キープ協会 50年の歩み」
      財団法人キープ協会 2003「清里に使いして・A Triumph of Faith」

2015-11-27

美しかれ


美容院で・・・
BGMに「北上夜曲」のメロディーが流れていた・・・

改訂: 2020.03.06 ビデオクリップ埋込

2015-11-07

ベルナルド・ベロット

Bernardo Bellotto (1720.1.30 - 1780.10.17) イタリアの画家

“Dresden seen from the right banks of the river Elbe below the bridge Augustus”
建築物や自然の精密な描写が美しい・・・しかし、よく見ると、点景のようにあるいは風景の一部のように描かれた人々や動物のリアルな姿態が面白い。中には、動作途中のおかしな格好をしていたりする人がいて、あたかも無作為にシャッターを切って写し取られた写真のようだ。

"View of Gazzada near Varese"
人の動きは面白いだけでなく、それは描かれている中世の街並みや風景を、人の住む場所として生き生きとして見せる。
ランプと井戸水と馬車によるその町の暮らしを思わせるような・・・不思議なリアリティを生み出している。

写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンは「決定的瞬間」と呼ばれる作風で多くの作品を表したが、ベロットの画はそれを彷彿とさせる。
それぞれの作品を作り上げる手法・作業が全く異なるだけでなく、その意味するところも味わいも比較のしようもなく異なるが、何か共通のもの、写真と絵画の違いを超えた何かがあるように思う。

2015-10-25

J.S. Bach 「主よ、人の望みの喜びよ」


・・・呆然として、すっかり手を止めてしまっている指揮者のアルノンクールが、右手をそっと顔にあて、目じりを拭う・・・

2015-10-09

堀 辰雄 「風立ちぬ」


中学生の頃、学校にも行かず文学全集を読み耽っていた時期があった。何を読んだかもうほとんど忘れてしまっているが、この作品には打ちのめされ、その時の強烈な印象は長い時を経た今もなお強く残っている。

2015-09-28

猫殺し・・・私、そしてあなたも


私たちは毎日274匹、一年に99,671匹の猫を殺しています。(環境省発表:平成25年度の行政による殺処分の数字)。
多くの人々がそれを憂いています。

2015-09-24

長塚 節 「土」


およそ半世紀ほど前、高校の国語の先生に勧められてその名を知って以来、いつか読もうよもうと思いつつ、とうとう高齢といわれる年になるまで読まずに来てしまった。

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