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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2016-05-20

人間の尊厳


辛かったこと、嫌だったこと、腹が立ったこと・・・思い出さないように、忘れるように、しよう。 久子は、もう、釈明することも、詫びることも、できないのだから。
そう思ってきた。



楽しかったこと、尽くしてくれたこと、我慢してくれたこと・・・数えきれないほどある。
弔ってくださる方々とも、それを話そうと心がけてはいた。

そして今、その、良いはずの思い出が・・・たくさんあって・・・なぜか、辛い。
それらは、失ったものだからか・・・それが、多すぎ、大きすぎて、受け止められないのか・・・
良い思い出といえども、ないほうが良かった、この私の生も、ないほうがよかった・・・そう思うほど、虚しい。

死に定められたことは、告知を受けた時から、受け入れている。
人工呼吸器をはじめ、胃ろうや点滴による延命は、一切拒んだ。

死によってこの病から逃れられたら、遺体を献体し、ALS の病理解明に役立ててほしい、と主治医の先生にお願いしていた。

だが、しかし・・・

病は、少しずつ神経を麻痺させ、徐々に動かせなくなっていく体に、痛む筋肉に、ゆっくり丁寧に死を予感させ、日常生活を一つひとつ奪い去りながら、死につつあることを、年月をかけて、容赦なく、味わわせる。

容赦なく・・・そう、“死んだほうがまし” という、避け難い生身の感情を、自ら “生き続けてはいけない” と、冷徹に裏打ちすることを強いる。
自分が病を得てなお生き続けることが、家族に負担をかけ、その人生を犠牲にしてしまう・・・そう自分を責め、延命を恐れながら、動かせなくなっていく体と闘い、蝕まれる心に翻弄されて、生きる。

人間の尊厳は次から次へと砕かれ、精神は疲弊し、心は折れる。

洗礼を受けて 34 年、「死は、救いであり、望みである」ことを、罪からの救いとしてだけでなく、肉体と精神の痛みにおいても救いであり望みであることを、身をもって証しして、召された。

主は言われます。
 
「虐げに苦しむ者と 呻いている貧しい者のために
 今、わたしは立ち上がり
 彼らがあえぎ望む 救いを与えよう。」
詩篇12-5 (新共同訳)




改訂:2019.08.18 最新標準レイアウトを適用
2022.09.20 詩編12→詩篇12-5
2024.04.15 細部レイアウト変更



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