辛かったこと、嫌だったこと、腹が立ったこと・・・思い出さないように、忘れるように、しよう。 久子は、もう、釈明することも、詫びることも、できないのだから。
そう思ってきた。
そう思ってきた。
楽しかったこと、尽くしてくれたこと、我慢してくれたこと・・・数えきれないほどある。
弔ってくださる方々とも、それを話そうと心がけてはいた。
そして今、その、良いはずの思い出が・・・たくさんあって・・・なぜか、辛い。
それらは、失ったものだからか・・・それが、多すぎ、大きすぎて、受け止められないのか・・・
良い思い出といえども、ないほうが良かった、この私の生も、ないほうがよかった・・・そう思うほど、虚しい。
死に定められたことは、告知を受けた時から、受け入れている。
人工呼吸器をはじめ、胃ろうや点滴による延命は、一切拒んだ。
死によってこの病から逃れられたら、遺体を献体し、ALS の病理解明に役立ててほしい、と主治医の先生にお願いしていた。
だが、しかし・・・
病は、少しずつ神経を麻痺させ、徐々に動かせなくなっていく体に、痛む筋肉に、ゆっくり丁寧に死を予感させ、日常生活を一つひとつ奪い去りながら、死につつあることを、年月をかけて、容赦なく、味わわせる。
容赦なく・・・そう、“死んだほうがまし” という、避け難い生身の感情を、自ら “生き続けてはいけない” と、冷徹に裏打ちすることを強いる。
自分が病を得てなお生き続けることが、家族に負担をかけ、その人生を犠牲にしてしまう・・・そう自分を責め、延命を恐れながら、動かせなくなっていく体と闘い、蝕まれる心に翻弄されて、生きる。
人間の尊厳は次から次へと砕かれ、精神は疲弊し、心は折れる。
洗礼を受けて 34 年、「死は、救いであり、望みである」ことを、罪からの救いとしてだけでなく、肉体と精神の痛みにおいても救いであり望みであることを、身をもって証しして、召された。
主は言われます。
「虐げに苦しむ者と 呻いている貧しい者のために
今、わたしは立ち上がり
彼らがあえぎ望む 救いを与えよう。」
今、わたしは立ち上がり
彼らがあえぎ望む 救いを与えよう。」
詩篇12-5 (新共同訳)
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2022.09.20 詩編12→詩篇12-5
2024.04.15 細部レイアウト変更
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