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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

改訂情報:


- The Alexander Brothers : Nobody's Child リードに加筆, 一部記述変更

- ホセ・カレーラス「光さす窓辺」 対訳付き原語歌詞掲載

2016-01-29

「カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲」



“今際の際”にはこの曲を聞きたい、長い間そう思っている曲がある。

 ・ジョルジュ・プレートル指揮 マスカー二作曲「カヴァレリアルスティカーナ 間奏曲」

弦楽器の最弱音でかすかに響いてくる調べを聞く・・・思考は止まり深い瞑想がひろがる・・・

この曲を聞くと、誤解を招く恐れが多い言い方ではあるがあえて言えば、"天国への階段を登る" といわれるような想いで心が安らぐ。
心は安らぐが、また、満たされた思いで高鳴りもする。

G.プレートル指揮のこの曲は、ずいぶん昔から所有しているオペラ全曲版 LD に収録されているが、この間奏曲だけを聞きたいときに LD では扱いが面倒なので youtube で検索してみた。

いくつか演奏を聞いてみたが LD で聞いた感激は全く再現できなかった・・・

なぜかと思い、Georges Prêtre の名を加えて検索し直し、2009年のオレンジ音楽祭の録画を見つけてようやく目的を達した。
LD の演奏とはオーケストラも異なり、ローマ時代の屋外競技場跡の会場での録音なので音質も優れたものではないが、同じ感動がよみがえった。

この曲に限ってはなぜか G.Prêtre の演奏でないとだめだということが判った。

私は、音楽的素養はほとんどゼロ人間なのでそれらの演奏の違いを音楽用語で説明することは不可能、それを敢えて他の言葉で記せば・・・

いくつか聞いた他の演奏、CD を所有している演奏もあるが、そのいずれもが“語り”かけてこない。
音がきれいに滑らかに響き、抑揚やテンポの変化が流れていく・・・ 演奏上の欠点は何もないようだが・・・
しかし・・・ 極上の美酒を口に運んだつもりなのに、肝心なその味わいがなく、満たされない。

80年近く前に作曲者 Mascagni 自身が指揮した演奏の録音も聞くことができたが、G.Prêtre の演奏には及ばなかった。
Mascagni の演奏は、録音が SP レコードのもので音質が良くない上に、強弱の変化が異常に激しく、あるいはこれはあまり “上手くない” 部類に入る演奏であるのかも知れない。しかし、彼の演奏は少なくとも“語り”かけてはきた。

器楽曲の演奏が、演奏者の違いによって、これほど異なって聞こえるということは初めての経験だったので、本当に驚いた。
その後さまざまな曲を聞いてきたが、この曲以外でこれほど大きな違いは感じたことはないので、私固有の “琴線” に触れる何かがあるのだろうか……。


追記:プレートル氏のこの演奏のビデオクリップを埋め込んだ記事をアップしました。(2018.06.18)
Link:「G.プレートル "カヴァレリア・スルティカーナ"」


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