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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2020-06-30

M. ポリーニのモーツァルト "K.467 Andante"


弱音器をつけたバイオリンが優しいメロディーを歌い、ピアノが引き継ぐ。ポリーニはそれを流れるような美しさではなく… もどかしいような、ためらうようなタッチで、ときに力強く鍵盤を叩き、何か… 激しさや苦しさを思わせるように歌います。
付録: ハリー・ポッターがオーボエを吹いてる!



この第二楽章で何か激しさを感じる…… それは聴いたことがなかったので、あれっ、何か違う、なんだろう、このアンダンテに、こんなに緊迫感のあるドラマティックな要素があったのか・・・と思い、虜になりました。

この曲は、もう30年ほど前にマレイ・ペライアの LD を買って、その穏やかで滑らかな演奏が気に入ってたまに聴くことはあったのですが、この第二楽章アンダンテのポリーニの演奏は、それとはまったく違って聴こえます。

ポリーニがところどころで力いっぱい鍵盤を叩く・・・この曲を、こんなに息詰まる思いで聴いたことは、これまでなかったことです。
このアンダンテは際立って、美しく、優しく、切なく、そして、それらが清涼な水の流れのように響き沁み渡る曲という印象だった・・・のですが、このポリーニの演奏はそれに留まりません。
あたかも別の曲に生まれ変わったかのようです。

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他のピアニストの演奏とあまりにも違っていて、それがどうしてなのか不思議、その理由が判らなくてどうしても落ち着けず、とうとうスコアを入手して詳細を追うことにしました。

曲の中ほどで、第一部の主旋律の繰り返しを終え、オーボエが鳴り、フルートがトリルを奏で、曲は短調に転じて中間部となってしばらくのち。ピアノが再び左手の三連音符から始まって主題の変奏を数小節かなで、オーケストラが続きます。再びピアノが数小節かなで、それに続く四小節がこの演奏の聴きどころ (4'25"-)、ポリーニが本領を発揮します。
その四小節、オーケストラの各パートには一拍目にスフォルツァンド、つまりその一音のみフォルテ、が指定されています。ピアノには、この楽章中例外的に第一部の一箇所に指定があるのみで、その他の強弱の指定はありません。
その第一拍目のスフォルツァンド、ポリーニは鍵盤の上に覆いかぶさるように構え、反動をつけるかのようにして両手で鍵盤を強く叩きます。カメラがその両手をアップで写します。それを四小節のそれぞれの一拍目にくり返します … ララララリリ〜… と口ずさみむ声も聞こえます。
他方、このスフォルツァンドの箇所のピアノ譜には、各小節とも左手のドミナントの二音の四分音符があるのみ。そこをポリーニは両手で弾きます……。

譜面上の同じ箇所を、マレイ・ペライアは左手だけを軽くうごかし音は聞こえません、アルフレート・プレンデルは動画がなくCDで聴くとピアノの音がまったく聞こえません。オーケストラがスフォルツァンドでガンと鳴らすのですから、ピアノはよほど強く鍵盤を叩かなければ、そうしたとしても低音の二音だけでは、客席にも収録マイクにも音は届かないでしょう。

ポリーニにしてみれば、ピアノの音の強弱はソリストの任意なので、おそらく、この音を思い切り強く鳴らしたい。しかし、現代の進歩した楽器で構成されるオーケストラの音量と、広い演奏会場の音響効果を考慮すると、ピアノをオーケストラのスフォルツァンドと対等に鳴らすには、低音の二音だけではいくら強く鍵盤を叩いても音量が足りない。そこで、右手で高音の和音を加えて鳴らしたのではないかと想像されます。

それはモーツァルトの書いた楽譜には書かれていない音を付け加えているのではないの? どのように考えても、それはその通りでしょう。
ペライアもブレンデルも同じ箇所では譜面通りに弾いているようです。
しかし、譜面を見ながら聴いてみると、ポリーニのこの演奏は、細かいピアノ奏法上のテクニックのことは判らないので別にして、この四つのスフォルツァンドの箇所以外はすべて譜面通りに弾いています。
反面、ペライアとブレンデルは、四小節のスフォルツァンドでこそ譜面通りに演奏しているようですが、その前後に、譜面にない装飾音を入れています。特にペライアの演奏は聴いていて嫌になるほどよけいな音が聞こえます。ブレンデルの演奏の譜面にない音は数多いというほどではありません。しかし、中間部冒頭の二小節にある全音符、それぞれの小節の全音符の後半二拍を分散和音にしてしまっています。これには驚きました。他にも、再現部の主旋律の二分音符も分散和音に変えています。これらは到底受け入れ難く思います。

ペライアもブレンデルも昔から好きなピアニストなのですが、楽譜に照らしてその演奏を聴いた時、考えさせられてしまいました…… ビブラートの多用・常用や、譜面に載っていないトリルや装飾音などの追加は大嫌いなので。

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中間部の四カ所のスフォルツァンド、ピアノには低音の二音が強弱指定なしで譜面に書かれていることは先にも触れましたが、この二音を、モデラートとしてキーを叩いたのでは、その音は誰にも聞こえないでしょう。
ここで大事なことは、楽譜のここに二音が書かれているということ、言い換えると、ここは休止符ではないということ。ということは二つのキーを叩いても聴衆にその音が聞こえないのでは、それは実質的に休止符と等しくなってしまい、それではダメでしょうということ。
そうであれば、ピアノの音の強弱を任されたソリストは、オーケストラのスフォルツァンドに見合う音でピアノを鳴らすこと、それが楽譜を尊重し作曲者の意を汲む演奏であるように思います。
このポリーニのアンダンテ、全曲を通じて、楽譜に極めて忠実に演奏されています。四つのスフォルツァンドで、譜面にない右手の音を加えたポリーニ、それは、作曲者の意図をよくよく考え、二百五十年前と現代の演奏形態を考えた上での、重い決断であったろうと思います。
この点に於いて、ポリーニと、他のペライアとブレンデルとは、作曲者とその作品である楽譜に向かう姿勢が根底から異なっているように思います。

真摯な演奏を聴かせてくれる演奏家、その渾身の演奏がもたらす、美しさ優しさ深さ重さ哀しさ楽しさ、それらはみな宝です。

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ポリーニの演奏、美しいだけではなく、切ない…… 息苦しいほど切なく、 辛い。
この辛さの救いは、フィナーレ。音楽そのものにプラスして…… 数小節のコーダの直前、ポリーニが鍵盤から顔を上げてムーティーを見る、ムーティーが振り返り、一瞬二人の視線が合い・・・そして、穏やかで優しい消えいるようなコーダ。なぜかこれが、ほっとさせてくれます。

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以前、YouTubeにこれと同一の動画がアップされていて、面白かったのはそれへの次のコメント。

 A:このビデオおもしろい、ハリーポッターがオーボエを吹いてる!
 B:ホントだ… 指揮してるのはセブルス・スネイプだ!
 
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Bravissimo !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

6'48" (全三楽章演奏ビデオ中の第二楽章のみ再生)
W. A. Mozart "Andante"
from Piano Concerto No. 21 in C major, K. 467
Pf. Maurizio Pollini
Cnd. Riccardo Muti
Orch. Filarmonica della Scala


改訂:2020.06.29 全面書換の改訂版を作成し旧版を削除
2020.07.10 ビデオ・クリップを同じ収録で音量の豊かなものに差替
2020.09.07 聞き所の説明に加筆
2021.05.31 誤植訂正, 奏で→かなで
2023.10.30 動画リンク更新 YouTubeコメント追記, 末梢表現変更
2023.11.11 リーダー末梢表現変更, アイコン差替


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