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cogito ......


‥‥
 にもかかわらず 君は 何世紀もの間
  慈悲も後悔もなしに 戦い続けてきた、
   それほどまでも 君は 殺戮と死とを愛するか、
    おお 永遠の戦士よ、おお 冷酷無情の同胞よ!

2022-07-03

カインの末裔:創世記の”神”とは…


「創世記」第四章 第3~5節
ここで、"神" は早々とその不完全性あるいはその邪悪な本質を露呈します。



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4:3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。

4:4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。

4:5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。

        - 創世記:日本聖書協会口語訳旧約聖書


これは "差別" と "いじめ" を神自らが創始したことの証。


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"神に顧みられなかった" とはどういうことか?

もし、私たちの心に信仰の欠片かけらでもあるとするなら……
まごうかたなく、それが絶望以外の何物でもないことが判ります。
キルケゴールのいう「死に至る病」そのものです。

その後において、彼が「顔を上げなかった」とか「〜を殺した」とかあげつらうのは本末転倒以外の何物でもないでしょう。

あなたの信仰が深ければ深いほど "神に顧みられなかった" ら全ては終わりであるはずです。違いますか?

これに対して伝統的キリスト教諸派はいう、「カインの供物には心がこもっていなかった」あるいは「カインの供物が粗末な物であった」などと。
創世記のどの行を探してもそのようなことは一言も書かれていません。

 ・神の言葉に、神の語っていない言葉を付け加えてはならない。

これは啓示宗教の本質にかかわり、これを否定するとキリスト教の存立自体を危うくしてしまいます。
ましてや、聖書無謬を主張する福音派の方々においてそのようなことはあり得ないはずですね。
また、"神"は信ずる者の貢ぎ物の良し悪しでその者への対応を差別するのか、という次元の低い疑義をも産んでしまいます。
つまりそれらは古典的かつ通俗的な護教的詭弁であって、この言葉を吐く者は自らの信仰を卑しめています。

このカインへの理不尽な対応は、創世記全体を貫く"神"の神らしからぬ言動の端緒にすぎません。
それら看過できぬ事柄のいくつかは次稿以降に随時記します。


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Caïn par Henri Vidal, 1896, jardins des Tuileries (Paris) -wikipedia
アベルを殺害した後、悲嘆に暮れるカインの全身彫像の部分


改訂:
2022.08.10 第二段落追記, 欠落していたタイトル加筆
2023.08.10 タイトルにあった(改訂)の文字を削除
2026.07.18 誤植訂正


2 件のコメント:

  1. 差別といじめ、ですか。なるほど。
    しかし、神のカインとの向き合い方には、アンビバレントな感情があるように思います。つけられた印は彼を差別すると同時に護るものでもあるので。

    それにしても、神の愛の不公平はやはり納得できません。色々な理由づけをを読んでもなお、私はヤコブよりエサウ、ダビデよりサウル、マリアよりマルタ、ヨハネよりペテロに心が向きます。

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    1. 貴重なコメントをいただきまして、ありがとうございます。
      コメント者様が聖書をよく読んでおられ、さまざまな観点からその記述を解釈し評価し、それを楽しんでおられるごようすを羨ましく思います。

      「神のカインとの向き合い方には、アンビバレントな感情があるように思います」それはその通りですね。

      創世記を振り返ってみます。

      「カインとその供え物とは顧みられなかった(4:5)」

      『カインと』『その供え物』が顧みられなかった、つまり、カイン自身と彼の供物が共に顧みられなかったと書かれていますすね。
      これは、ちょっと目に止まらなかった、などという状況ではありません。念には念を入れてカインを黙殺あるいは斬り捨てています。
      この時点で、私の神は旧約聖書から姿を消しました。

      そしてそれは、イザヤの次の預言でかろうじて復活しました。

      「見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。 さきの事はおぼえられることなく、 心に思い起すことはない(65:17 )」

      『先のこと』とは他でもない「創世記」の記述を指します。

      というわけで、旧約聖書の記述についてはその多くを無視しているので、さまざまなエピソードについて特に関心を持ってはいません。

      しかし、新約のヨハネつについては別で、その福音書は丸ごと無視しています。理由は彼の記す「愛」。

      そこでは、「肉にあるヒトの愛」と、「イエスの教える愛」と、「神の愛」、それらを混ぜこぜにした「愛」の大安売り。そして平然と「神は愛である」と書く。
      極め付けは「イエスの愛しておられた弟子」の一連の記述。これは肉にある者の "差別し分け隔てする愛" の典型。そしてその愛されていた弟子は自分だと言い、自分を他の弟子から分け隔てています。
      なんとうす汚く穢らわしいことか…

      長文返信、ご容赦ください m(__)m

      削除

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