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cogito ......


東明しののめ の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく、、、、、小旗の如く涕なかんかな

    或あるはまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
    海の上への風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

       中原中也「老いたる者をして」- 詩集「在りし日の歌」より

2026-07-08

明石海人「瞳のおくに」


歌集「白描」 第二部 翳かげ より

現うつつ




近づけば すなはち消ゆる
  瞳のおくに 空をいただく 花苑はあり


明石 海人



*出典は分かち書きせず、空白を一切排除した一行で記しています。
ここでは、スマートフォンの表示幅と小文字認識の限界を考慮し、必ず機械的な改行を伴う全句一行表記を避け、分かち書きを採用します。ただし、上の句三句及び下の句二句とする区分は、各句の意味内容に即して適宜変更します。


注)花苑=花+苑〔音:エン 訓:その〕囲いをして、植物を植え、または、鳥獣を放し飼いにする所(大辞泉)


出典:明石海人歌集 2012 岩波書店
参照:大辞泉 1955 小学館 (大辞泉)

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明石海人氏のプロフィールは先行記事「明石海人 : 歌集『白描』」の文末に詳しく記していますが、私の個人的関心事がもう一つあります。それは、通った小学校が同じ、つまり氏は、小学校同窓の大先輩にあたります。通学していた時期には半世紀近い隔たりがありますが、同じ木造一階建のあの校舎で学んだのだろうと思われます。

私はといえば高齢となり、歳とともに可能性は失われ、呼び戻される悔恨と長い間遠ざかっていた望郷の思いに時が流れることがあります。

明石氏は、病に肉体を侵されて視力も声も失い、受け入れ難い宿命を負わされ、それと戦い、私が生まれる5年前に37歳で亡くなっています。恐らくは、悔恨にも望郷の思いにも無縁のうちに、生の半ばでそれを断たれた。そして、自らの病ゆえに家族が、一族が、謂れのない過酷な差別を受ける、その事実への思い如何ばかりか…

それはきっと、自身の歌に詠み込まれているに違いない。


改訂:2026.08.11 家族/一族への差別について加筆
2026.08.17 分かち書きについて加筆



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