「みなしご」実は「見做し子」、それは人身売買の隠れ蓑だったのではないのか?
前記事「越後獅子の唄3: "みなしご" とは?」より続く
越後獅子の歴史:-ja.wikipedia「角兵衛獅子」より抜粋引用
越後獅子(えちごじし)とは、新潟県新潟市南区(旧西蒲原郡月潟村)を発祥とする郷土芸能である角兵衛獅子を題材とした地歌、長唄、常磐津、歌謡曲の楽曲。または日本舞踊の演目。
越後獅子が江戸に来たのは宝暦5年(1755年)のことで (中略) 信濃川中流部の中ノ口川沿岸の農民角兵衛が毎年の凶作や飢饉から村人を救うため、獅子舞を創案した。
大道芸としては明治時代に衰退してゆく。文明開化や義務教育の定着などの社会の意識の変化により、児童に対して親方と呼ばれる大人が鞭を用いた体罰で芸を仕込むことや学校にも通わせないことに対する嫌悪感が生まれ、次第に忌避の対象となっていった。明治中期の東京では、小石川柳町が角兵衛獅子の棲家で、2 - 3人の親方が貧しい家の子を4 - 5歳のうちに4 - 5円で買い取り、体を柔らかくするために酢を飲ませたり、棍棒や分銅を使って稽古をさせるなどしており、その扱いが残酷であるとして警視庁から新たな子供を加えてはいけないという禁止令が出され、次第に数が減っていった。
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では、人身売買を極悪非道と糾弾し、すべからくその親の責任を問いまたそれを非情と責めるか?
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ならば、「この娘も『生きてさえ居れば、なんとかなる…』」(朝井まかて著「雲上雲下」より) と、生存さえ危うい貧困と飢餓の中で 愛娘 を売り、残る子供たちと生き延びる道を選ばざるを得ぬ親の心…
それを思わぬか?
そこまでの貧困はあってはならない。
だが、ある。
ちがうか?
それは、富の配分を公平に行わぬこの世の犯す罪。
私もあなたもその悪しき世の一部、否も応もなくその悪しき世を支えている。
ちがうか?
今もなお、世界各地で人身売買が報じられている。その中には日本に連れて来られる方々もおられると聞く。
人身売買は昔の話ではない。
ちがうか?
ある親がその荷重く窮地にあり疲弊している。
であるなら、それを助くるが義であろう。
ちがうか?
義をあらば共にそれを為さむ!
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