ティーンエージャーの頃の大昔、バリトンの栗林義信さんが留学中のイタリアから、「リゴレット」に出演するために帰国する、ということが文芸欄の大きなニュースになりました。運よくその公演の入場券を手にできた私は、翌月オープン予定の東京文化会館を尻目に、響きはいいが舞台も客席も狭い日比谷公会堂へ。
当時は、オーケストラの定期公演の会場も日比谷公会堂や共立講堂などを利用する他ありませんでした。ましてやオペラの上演となると極めて狭い舞台上で書き割りなどを多用してやる以外に術なし。しかし他の選択肢がなかったのですからそのことの良し悪しなどは論外。日本には400年を超える伝統を持つ歌舞伎という舞台芸術があって、その場面転換の手法はたいへん画期的かつ先進性のあるもので、それ自体が芸術といえるほどす。それを知る者としては広い舞台は特に重要視せず、むしろより音楽性を重んずる上演と鑑賞ができるのでは…とも思います。
広い舞台に本物の馬を登場させるような演出、それはすでに芸術の範疇になく、ショー(show)、つまり見せ物にすぎませんね。
そのリゴレットの舞台… ジルダを歌ったソプラノが誰だったのか思い出せません。
当時の第一人者とされるような方ではなく、もう少し若手の方だったと記憶しています。
そして幕が上がると、良く響くホールの私の席に、コロラトゥーラとはこういう声のことかと思わせる、予期に反した美しい歌声が届きました…
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実は、私はその少し前ごろから、その当時の日本のクラシック音楽の "声楽" が嫌いになっていました。
ラジオやテレビで聴く多くの歌手が、喉に力が入って、無理に声を響かせようとしているかのようで、子音が消え、アー、オー、エー、と母音ばかりが響く。どんな歌詞なのか判らないだけでなく、歌っている歌詞が、日本語なのかイタリア語なのかさえ判り難い。
言葉と縁を切った、音のこもる楽器のようになってしまった "歌声" には全く興味が持てず、FM 放送のオペラアワーなどで聴く、多くの外国人歌手たちの歌とは別物のように思えました。
事実、それより少し前、グノーの「ファウスト」の日本語歌詞による公演を観に行ったことがあり、日本語公演だからストーリー展開が歌われる歌詞で判って気楽に音楽が楽しめる、そう思って粗筋にもろくに目を通さずに臨みましたが… いざ始まってみると、ところどころで日本語の単語らしい響きが聞こえるだけで、歌詞から何かまとまった意味を聞き取ることはまったくできず、バレエのみの第2幕を楽しめただけの日本語公演でした。
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リゴレットというオペラは、ジルダの歌う「慕わしい名前」と、リゴレットの歌う「悪魔め、鬼め」、この二つのアリアと、四人の登場人物がそれぞれ異なった歌詞を歌って、一つのコーラスになる「四重唱」が、しっかりと心に焼き付いて、今日に至るまで、オペラというと必ずこれを思い出すようになりました。
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ここでは、私の好きなドイツのソプラノ、クリスティーネ・シェファーが演ずるジルダのアリア「慕わしい名前」。
Brava!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
Giuseppe Verdi "Caro nome"
From Opera "Rigoletto"
Christine Schäfer (sop)
Edward Downes (cond), Royal Opera House (orch)
From Opera "Rigoletto"
Christine Schäfer (sop)
Edward Downes (cond), Royal Opera House (orch)
改訂:2026.06.18 レイアウト更新 記憶違い訂正書換
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