滝廉太郎の「花」♪ はーるの うらーらーの ♪
日本女声合唱団は、日本で最初のプロの女声合唱団として、1954年から1994年にかけて活躍したとのことです。
すばらしいコーラスなのですが、正直にいうと、私は、美しいソプラノの声に耳を奪われてしまいます。
このソプラノの美声の前には、ハーモニーも霞んでしまいます。
動き回るものを目で追うという言い方がありますが、いろいろに変わる曲想のなかで、私は、ソプラノの美声を耳で追ってしまいます。
せっかくのハーモニーをもったいない、と思いますし、そうバカにされてしまうかもしれません。
しかし、誰が何と言おうと、このソプラノの声、す・ば・ら・し・い……。
同感される方もきっと多い、いや同感されない方はほとんどいないのではないかと思いますが、いかがでしょう?
ところで、この歌の歌詞ですが、タイトルを「花」とするほど花や桜を歌っているわけでもないのですが、それはともかく、歌詞が、言葉が、実に心地よく響きます。
その心地よさは、滝廉太郎のメロディーによるところが大なのですが、私は、文語体の言葉の並びの美しさにもあるように思います。
詩が、そこに詠まれている言葉の意味を超えて、あるいは、それらの言葉の意味を脇に置いて、言葉自体が美しく響く。
「春の うららの 墨田川」・・・ 春の、うららの、とたたみかけるように、韻を踏んで調子よく美しく響くことばの並び、それ自体が春を告げているように思います。
韻を踏んだ言葉の美しさ、音楽で言えば不協和音をも含むハーモニーの美しさ。
そこで、思い出したのが、ポール・ヴァレリーの詩。私が、この詩人の作品の良さがどこにあるのかを全く理解できないことです。
そもそも、"理解" しようとするところがいけないのだとは思います。
韻を踏んだ言葉の美しさ、ヴァレリーの詩の味わいもそこにあるのだろうと思います。
そうであれば、その美しさはその言語の響き自体にあるので、それを他の言語に "翻訳" することは全く不可能なのだろうと思います。
ヴァレリーの詩を翻訳で読む場合、内容が象徴詩であるだけに、翻訳者がどんなに努力しようとも、訳された言葉は原語の言葉の持つ響きの美しさを伴わず、並べられた言葉が、私には、空虚に響いてしまいます。
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花
春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂のしずくも 花と散る
ながめを何に たとうべき
見ずやあけぼの 露あびて
われにもの言う 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳を
錦おりなす 長堤に
暮るればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとうべき
春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂のしずくも 花と散る
ながめを何に たとうべき
見ずやあけぼの 露あびて
われにもの言う 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳を
錦おりなす 長堤に
暮るればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとうべき
作詞:武島 羽衣
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Brava!!!!!!!!!!!!!!
2'15"
”花”
作曲:滝廉太郎
作詞:武島 羽衣
合唱:日本女声合唱団
他演奏詳細不詳
作曲:滝廉太郎
作詞:武島 羽衣
合唱:日本女声合唱団
他演奏詳細不詳
改訂:2018.3.18 ヴァレリーの詩の場合 → ヴァレリーの詩を翻訳で読む場合
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