セカンド・ワルツ の名でも親しまれ、映画に使われたり、いまや大人気。
R.シャイ―とコンセルトヘボウ管の演奏に心を揺すぶられてしまいます。歴史的画像を映し出すビデオが秀逸で、20 世紀初頭〜中葉のロシアの壮絶な苦難の歴史を改めて思い起こさせます。
R.シャイ―とコンセルトヘボウ管の演奏に心を揺すぶられてしまいます。歴史的画像を映し出すビデオが秀逸で、20 世紀初頭〜中葉のロシアの壮絶な苦難の歴史を改めて思い起こさせます。
ショスタコーヴィッチの作品はあまり馴染みがないのですが、この「ワルツ2」と呼ばれる曲は、彼の作品の中では例外的な存在であるようです。
郷愁を呼ぶ甘く親しみやすい響きの中に底なしの淵を覗くかのような切なさがあって、私には宝物です。
ショスタコーヴィッチは、革命後のロシアで、芸術家に対する "当局" の厳しい規制・弾圧・粛清の嵐の下、多くの作家や音楽家が、流刑に、行方不明に、 そして亡命したりする時代に、国内にとどまって創作を続けた。
作品は、当局への妥協であったり、妥協と見せかけた主張が隠されていたり、あるいは抑圧と対峙すること自体が創作の原動力であったりするといわれています。
この曲が作曲されたのは 1938 年。そのころは多くの音楽家たちが、粛清に追われて、当時ソ連の植民地的な存在であった中国のハルピンに逃れたといわれます。
それらの、ハルピンに亡命していたロシアの音楽家たちを描いた映画が、以前の記事に載せた、李香蘭主演の映画「私の鶯」です。
あの時代に、ショスタコーヴィッチは体制内で何度も弾圧されては立ち上がり頑張っていたのだと、改めてあの映画を思い出しています。
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このワルツ2 は、ウィンナ・ワルツのように甘く軽く演奏されてしまうことも多いようで、André Rieu のお子様ランチのような見世物のような軽薄で不愉快極まりない演奏すらあります。
しかし、ここに紹介するリッカルド・シャイ―指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による演奏は、それらと一線を画すものです。
これまでシャイ―という指揮者はほとんど名前しか知らなかったのですが、この演奏で、ショスタコーヴィッチの苦悩を譜面からしっかりと読み取って音にしているように聞こえます。
短い曲ですが、中間部の後半、画面が舞踏会の二枚の絵になるところで、1,2,3 のワルツのリズムは影を潜め、弦と菅の音が揺れ、うねり、怒涛のように、また喧騒のようにざわめきます。
それを、どう受け取るか…… それは聴き手次第。
この、ビデオクリップの作者もそれを重く受け止めたようで、画面にいみじくも、退廃的な貴族階級の遊ぶ姿をあてています。
ビデオクリップの画像の背景をひとつづつ追うと、暗黒の、血の、ロシアの 20 世紀が浮かび上がります。
レーニン等の革命後の恐怖政治はロベスピエールのそれを彷彿とさせますが、ニコライ 2 世の 5 人の子供を含む一家全員を、レーニンの命によるといわれる処刑隊により幽閉館の地下室で惨殺した凶行、それは、よりヒットラーに近い。
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ビデオ冒頭のショスタコーヴィッチの画像が、苦悩を表す意図があるとはいえ、あれではあまりにかわいそうなので、ここに私のお気に入りの、CD ジャケットにも使われている写真を掲げます。
ユーサフ・カーシュの撮った、W.チャーチル前英国首相の超有名なポートレートもいいですが、私の好みはこの写真が勝ります。
当初掲載した写真の著作権について参照したサイトに「使用可能」と
記されていますが、そのサイトの著作物使用可否決定の権限自体に疑義
があるため、それと同じ写真が使われている CD の写真と差し替えます。
土のちり 2018.03.22
記されていますが、そのサイトの著作物使用可否決定の権限自体に疑義
があるため、それと同じ写真が使われている CD の写真と差し替えます。
土のちり 2018.03.22
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Bravissimo !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
3'40"
"Waltz 2" from Jazz Suite No.2 - VI
Comp: Dmitrii D. Shostakovich (1906-1975)
Cond: Riccardo Chailly
Royal Concertgebouw Orchestra
Comp: Dmitrii D. Shostakovich (1906-1975)
Cond: Riccardo Chailly
Royal Concertgebouw Orchestra
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ビデオクリップ画像解説:
(数字はカットの順番に対応する番号)
1. ショスタコーヴィッチの苦渋に満ちた顔のアップ
2. 再生中の CD ジャケット : ショスタコーヴィッチ「ジャズ・アルバム」
リッカルド・シャイ―指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
(旧アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)
リッカルド・シャイ―指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
(旧アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)
3. モスクワ ポクロフスキー聖堂(聖ワシリー寺院)
4. 最後のロシア皇帝ニコライ2世夫妻と5人の子供たち。
革命後、レーニンの命を受けた処刑隊により、1918.7.17 幽閉されていたイパチョフ館地下室で家族全員と4人の使用人が惨殺された。(Wikipedia)
殺戮後 80 年にあたる 1998 年、DNA 鑑定を経た遺骨が聖カトリーヌ大聖堂、ザンクト・ペテルスブルク、の地下に埋葬された。
葬儀に臨んだ、時の第1代ロシア大統領ボリス・エリツィンは、ロシア王室の殺人事件をロシア史上最も恥ずべきページの1つとして説明し、ロシアに悔い改め「血塗られた世紀」を終わらせるよう促した。
そして彼はこう述べた「今日はロシアの歴史的な日です。私たちは、長い年月に亘ってこの凶悪な犯罪について黙してきましたが、真実を語らなければなりません」。(BBC News, Friday, 17 July, 1998)
革命後、レーニンの命を受けた処刑隊により、1918.7.17 幽閉されていたイパチョフ館地下室で家族全員と4人の使用人が惨殺された。(Wikipedia)
殺戮後 80 年にあたる 1998 年、DNA 鑑定を経た遺骨が聖カトリーヌ大聖堂、ザンクト・ペテルスブルク、の地下に埋葬された。
葬儀に臨んだ、時の第1代ロシア大統領ボリス・エリツィンは、ロシア王室の殺人事件をロシア史上最も恥ずべきページの1つとして説明し、ロシアに悔い改め「血塗られた世紀」を終わらせるよう促した。
そして彼はこう述べた「今日はロシアの歴史的な日です。私たちは、長い年月に亘ってこの凶悪な犯罪について黙してきましたが、真実を語らなければなりません」。(BBC News, Friday, 17 July, 1998)
5. 皇帝ニコライ2世(前列右から3人目)と家臣
6. A.プーシキンの肖像
7. F.ドストエフスキーの肖像
8. P.チャイコフスキーの肖像
9. コインの肖像レリーフ、歴代の皇帝など。
10. ショスタコーヴィッチが生まれ育った街、ザンクト・ペテルブルク市の聖イサク大聖堂、手前はピョートル大帝の騎馬像。
ザンクト・ペテルブルク(レーニングラード)の街は、第二次大戦中、ドイツ軍による 900 日に及ぶ包囲殲滅作戦による兵糧攻めと熾烈な戦闘に耐え抜いた。
しかしこの包囲戦で「飢餓や砲爆撃によって、ソ連政府の発表によれば67万人、一説によれば100万人以上の市民が死亡した。これは日本本土における民間人の戦災死者数の合計(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎を含む全て)を上回る」(Wikipedia)。
ザンクト・ペテルブルク(レーニングラード)の街は、第二次大戦中、ドイツ軍による 900 日に及ぶ包囲殲滅作戦による兵糧攻めと熾烈な戦闘に耐え抜いた。
しかしこの包囲戦で「飢餓や砲爆撃によって、ソ連政府の発表によれば67万人、一説によれば100万人以上の市民が死亡した。これは日本本土における民間人の戦災死者数の合計(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎を含む全て)を上回る」(Wikipedia)。
11. 舞踏会絵画1
12. 舞踏会絵画2
13. 雪原の写真 - ロシアの冬の時代の到来
14. 銃を持って立つ兵士の絵
15. 手を差し伸べるレーニンの姿、真っ赤に描かれたイラスト
16. 「 血の日曜日」1905年1月9日(日)-ザンクト・ペテルブルグの広場、折り重なって倒れている群衆、走って逃げる人々の姿。
6万人ほどの労働者の平和的なデモ行進にロマノフ政権下の市当局によって動員された軍隊が発砲。死者1000人とも4000人ともいわれ、革命への引き金となった。
ショスタコーヴィッチがこの街に生まれる前年のできごと。
6万人ほどの労働者の平和的なデモ行進にロマノフ政権下の市当局によって動員された軍隊が発砲。死者1000人とも4000人ともいわれ、革命への引き金となった。
ショスタコーヴィッチがこの街に生まれる前年のできごと。
17. 左から、K・マルクス、F・エンゲルス、V・レーニン、J・スターリン。
「共産党宣言」はこう謳う:
「共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。」(Wikipedia)
「共産党宣言」はこう謳う:
「共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。」(Wikipedia)
18. 1915年にアムステルダムで出版された地図(戦乱のヨーロッパを揶揄する戯画)
19. Alexander Berkman著「ロシアの悲劇」表紙
20. ドイツ軍の絨毯爆撃で壊滅し黒煙を上げるスターリングラード市の空撮
21. ドイツ軍の爆撃直後のスターリングラード市内、子供たちの彫像のある広場の噴水跡、背景は炎上するスターリングラード駅舎。
スターリングラード市をめぐる独・ソ攻防戦は人類全史上でも屈指の凄惨な軍事戦であったといわれ、死傷者は双方合わせて200万人、と言われる。(Wikipedia)
スターリングラード市をめぐる独・ソ攻防戦は人類全史上でも屈指の凄惨な軍事戦であったといわれ、死傷者は双方合わせて200万人、と言われる。(Wikipedia)
22. 1961年にソ連が開発した史上最大出力50メガトンの水爆「ツァーリ・ボンバ(皇帝爆弾)」の模型、広島投下原子爆弾の3800倍。(Wikipedia 他)
22. 水爆爆発の想像画と思われる
23. 遠くに目をやるショスタコーヴィッチ
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ソヴィエト連邦の第二次世界大戦による軍人民間人を合わせた総死者数は 2,180万~2,800万人、日本は 262万~312万人。(Wikipedia)
改訂:2018.03.21 末梢表現訂正
2018.03.21 削除「ショスタコーヴィッチも、大戦中この街で過ごした」
2018.03.21 ショスタコーヴィッチ肖像写真削除
2018.03.22 ショスタコーヴィッチのCDジャケットの写真掲載
2018.03.22 「私の鶯」に記事へのリンク埋込
2018.03.23 誤字訂正
2018.04.09 末梢表現訂正
2018.05.02 追記:レーニンの命による…(中略)…惨殺
2020.02.05 追記:市当局→ロマノフ政権下の市当局
2021.02.16 誤字訂正 末梢表現変更
2018.03.21 削除「ショスタコーヴィッチも、大戦中この街で過ごした」
2018.03.21 ショスタコーヴィッチ肖像写真削除
2018.03.22 ショスタコーヴィッチのCDジャケットの写真掲載
2018.03.22 「私の鶯」に記事へのリンク埋込
2018.03.23 誤字訂正
2018.04.09 末梢表現訂正
2018.05.02 追記:レーニンの命による…(中略)…惨殺
2020.02.05 追記:市当局→ロマノフ政権下の市当局
2021.02.16 誤字訂正 末梢表現変更
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