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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2017-12-22

オーレ・ブル「羊飼いの少女の日曜日」


19世紀、ノルウェー、バイオリンの巨匠で作曲家でもある、オーレ・ブル(Ole Bull)が ヨルゲン・モー (Jørgen Moe) の詩に作曲した歌曲「羊飼いの少女の日曜日」。



(歌詞大意)

"Sæterjentens søndag"
 羊飼いの少女の日曜日

太陽が良く見えるようになると、
それは悲しい時の始まり。
夏のあいだを山の上の牧場まきば
一人働いて過ごす少女の日曜日。

日は、いやが上にも高く、
谷の我家に、谷に響く教会の鐘に、
集まる人々に、讃美歌に、
想いは馳せ、寂しさが募る。

ほし草の間で、一人詩篇を歌う、
声が細り、消えゆくと……
聞こえる、私の声が!
他の人たちの声に混ざって!

秋になればすぐ、神様はそうしてくださる。
神様はまた私を、家においてくださる!


Jørgen Engebretsen Moe "Sæterjentens søndag (The shepherd girl's Sunday)" : 土のちり 大意訳


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ビデオ・クリップは、歌に代えて、チェロとオルガンの演奏を、すばらしい絵とともに。

特筆に値するこの絵は、スウェーデンの画家キリアン・ソールの描いた「牧場の少女」。
すくっと立ち、まだあどけなさの殘る、しかし端正で凛とした顔が、まっすぐに画家を見ています。背景には、二頭の強そうな山羊の優しい眼差しも描かれています。
そして、画像が縮小され、絵の全体が見えてくると… 少女が素足で土の上に立っているのが判ります。

この絵は、私が今までに観たなかで、最も素晴らしいポートレート。
このような絵が生まれる文化的背景、あるいは文化的な土台、それがあってはじめて、後世の高福祉国家が生まれたのか… と思ってしまいます。

いまこうして、遥か遠い、ほど遠い国にいて、この絵は、眩しい。
「溺れたる夜の海より空の月、望むが如し」(中也)。


   Link: 中原中也「失せし希望」


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  Bravo !!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2'50"

「羊飼いの少女の日曜日」
"Sæterjentens søndag (The shepherd girl's sunday)"
Comp: Ole Bull
Vc: Åke Olofsson
Org: Karin Strid
Painting: "Fäbodflicka (A shepherd girl)" 「牧場の少女」(1850), by Kilian Zoll

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オーレ・ボルネマン・ブル(Ole Borneman Bull, 1810年2月5日-1880年8月17日)は、ノルウェーのヴァイオリニストならびに作曲家。「ノルウェー初の国際的スター」と呼ばれる。新旧両大陸を股にかけて波瀾万丈の生涯を送り、ヘンリック・イプセンの戯曲『ペール・ギュント』の主人公のモデルにもなった。
ベルゲンに生まれる。父ヨハン(Johan Storm Bull)は息子を聖職者にしたがったが、ブルは音楽の道に進むことを望んだ。4~5歳にして、母親が口ずさんだ歌をヴァイオリンで弾くことができた。9歳で、ベルゲン劇場管弦楽団の第1ヴァイオリンを担当し、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団と共演してソリストも務めた。
(中略)
1872年には、ベルゲンの南に位置する、ホルダラン県オスのリーショーエン島(またはリーソーエン島)を購入した。建築家のコンラート・フレドリーク・フォン・デア・リッペを雇って、島の邸宅を設計させた。1880年には、病身を押してシカゴで引退公演を行なった後、同年8月17日に癌のためにリーショーエン島の自邸で息を引き取った。ブルの葬列は、おそらくノルウェーの歴史に残る最大の見世物であり、ブルの名声を裏付けるものとなった。亡き骸を運ぶ船を、15隻の蒸気船と何百隻もの(一説によると一千隻の)小舟が先導したのであった。
 -本節は ja.Wikipedia より部分引用

キリアン・クリストファー・ソール(Kilian Christoffer Zoll, 1818年9月29日-1860年11月9日)は、ストックホルム王立アカデミー(1835-1839)で、のちにデュッセルドルフ、コペンハーゲンなどで学び、肖像画家として働く一方、民俗舞踊、風景、子供、街の生活、などを描いた。
 -本節は Wikipedia.sv より抄訳引用

ヨルゲン・エンゲブレツセン・モー (Jørgen Engebretsen Moe, 1813年4月22日-1882年3月27日)は、ノルウェーの民俗学者、司教、詩人、作家。
モーは1841年から毎年の夏、ノルウェーの南部を行き来し、山間部に住む人々の伝統や物語を集めた。これは、彼の名声を最も高めることになる、ノルウェー民話集として纏められた。
1853年に地域教会の在住の牧師となった。この最初の教区で、彼は den gamle Mester(大画家)と Sæterjentens Søndag(羊飼いの少女の日曜日)のような、彼の最も有名な詩の多くにインスピレーションを得た。
1874年、クリスチャンサン大聖堂でクリスチャンサン大教会の教区司教に就き、亡くなるまで在任した。
 -本節は en.Wikipedia より抄訳引用


注)ベルゲン(Bergen)は、ノルウェー西端の北海に面する深いフィヨルドの奥の町。
作曲家のドヴァルド・グリーグもここの生まれで、ブルとも親交があり、「ブルはグリーグの才能を見出すと、その両親に、息子をライプツィヒ音楽院に入学させて才能を伸ばしてやるように説得した」(ja.Wikipedia)。


改訂:2017.12.22 人名表記変更 ヤーゲン→ヨルゲン
          Jørgen Engebretsen Moe 略歴追記
  :2018.08.20 末梢表現変更
  :2018.08.26 末梢表現変更
  :2018.11.25 クレジット誤記訂正 Fäbodflicka→Sæterjentens søndag (The shepherd girl's Sunday)
  :2019.11.09 Link: 中原中也「失せし希望」追記



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