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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

改訂情報:


- The Alexander Brothers : Nobody's Child リードに加筆, 一部記述変更

- ホセ・カレーラス「光さす窓辺」 対訳付き原語歌詞掲載

2017-12-13

黄葉もみちをしげみ

題詞:柿本朝臣人麿かきのもとのあそみひとまろ の、妻死して後に 泣血哀慟きふけつあいどう して作りし歌二首 短歌を併せたり
(短歌 その一)



秋山の 黄葉もみちをしげみ まとひぬる

いもを求めむ 山道やまぢ知らずも



柿本人麿かきのもとのひとまろ:萬葉集 208


注)(黄葉)を(しげみ)= ヲ〔間投助〕強調(辞典) → 黄葉が繁る様を強調
注)しげみ=繁み ミは繁シ〔形容〕のミ語法 …ので の意 → 草木が密生しているので(全集/辞典)
注)惑ひ=まどい まよい
注)…ぬる=〔助動〕完了
  → 妻が亡くなったことを "紅葉を愛でて山に入った" と婉曲表現で述べている *¹ (大系)
注)求めむ=捜し求めたい(辞典)ム〔助動〕話し手の意志や希望を表す
注)…も=〔終助〕承ける用言に不確定の意を添えて表現をやわらげるものと思われる(辞典)


出典:新日本古典文学大系 萬葉集1 2000 岩波書店
参照:新編日本古典文学全集 萬葉集4 1999 小学館
  :岩波 古語辞典 補訂版 1990 岩波書店

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*¹ "婉曲" に表したと解説されることがよくありますが、この場合、それは間違いではないにしても、一面しか言い表していないように思います。

このように、短歌がほとんど丸ごと婉曲表現であるかのようにいわれているその中身をみると、多くは、象徴表現ととらえたほうがよく、もっと積極的に評価すべき内容があるように思います。

柿本人麻呂としては、婉曲表現という意識がなくはなかったのかもしれませんが、妻の死を "紅葉を愛でて山に入りそのあまりに見事な様に惑い帰らなくなってしまった" 、そう詠う方が自らの心情をよりよく表せた、あるいはそのほうが好ましかった、のではないのでしょうか。
そして、山や山道… 当時の "山" は紅葉を楽しむ場所である一方、奥津城すなわち墓のある所でもあり、従って、そこに分け入る道には冥界への道しるべのような心証があったろうと思われます。

作者は、婉曲に、つまり読む者に与える印象をおもんばかって言葉を選ぶという矮小化のようなことを考えて詠んだのではなく、よりよく表現できる言葉とイマジネーションで自由に詠った、この短歌はそうしてできた、のだろうと私は思います。

なぜなら "秋山の 黄葉を繁み 惑ひぬる" は、婉曲表現で単に妻の死を指すにとどまっていません。
秋山の黄葉の繁みという、明らかに華やかな、肯定的なイメージの中に惑ってしまって帰らない、と詠っています。単に死を示唆するだけなら暗いイメージの所とした方がより的確だったでしょう。

この1句と2句は、終えてしまった妻の生涯を、それを肯定的なものと捉えて象徴しているのではないのか… 少なくとも私にはそう読み取れ、そこに味わいがあり、そして、作者にとってはおそらくそこに慰めがあったのではないでしょうか。
そうであってもなお、妻を捜し求めたい、しかし、"山道知らずも"。これは、冥界、無限、を前にした、迷いを含む諦めの象徴。

上記を正しいとすれば、そうであれば、これはもう立派な "象徴詩" ですね。
そう思うのは私一人でしょうか?

19世紀後半フランスに台頭したサンボリスムに先んじることおよそ1100年、世界地図の片隅の島に住む、未だ独自の文字を持たなかった人々の間で、既にこのような象徴主義の片りんを示すような詩が広く親しまれていた、そう考えると萬葉集の味わいがさらに深まるように思います。

改訂:2017.12.13 題詞:短歌二首 → 短歌を併せたり (短歌 その一)




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