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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2016-11-12

中原中也「秋日狂乱」


中原中也「未刊詩篇」より




秋日狂乱

僕にはもはや何もないのだ
僕は空手空拳くうしゅくうけん
おまけにそれを嘆きもしない
僕はいよいよの無一物むいちもつ

それにしても今日は好いお天気で
さっきから沢山の飛行機が飛んでいる
――欧羅巴ヨーロッパは戦争を起すのか起さないのか
誰がそんなこと分るものか

今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでいる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて
子供等は先刻昇天した

もはや地上には日向ひなたぼっこをしている
月給取の妻君とデーデー屋さん以外にいない
デーデー屋さんの叩くつづみの音が
明るい廃墟を唯独りで讃美し廻っている

ああ、誰か来て僕を助けて呉れ
ジオゲネスの頃には小鳥くらいいたろうが
きょうびは雀も啼いてはおらぬ
地上に落ちた物影でさえ、はやあまりに淡い!

――さるにても田舎いなかのお嬢さんは何処どこったか
その紫の押花おしばなはもうにじまないのか
草の上には陽は照らぬのか
昇天の幻想だにもはやないのか?

僕は何を云っているのか
如何いかなる錯乱にかすめられているのか
蝶々はどっちへとんでいったか
今は春でなくて、秋であったか

ではああ、濃いシロップでも飲もう
冷たくして、太いストローで飲もう
とろとろと、脇見もしないで飲もう
何にも、何にも、求めまい!……

中原中也 1938 「在りし日の歌」より

出典:中原中也全詩集 1972 角川書店

注)デーデー屋さん = 下駄などを直す行商の人

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