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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2018-05-17

中原中也「初恋集」


未刊詩篇より




  初恋集


    すずえ

 それは實際あつたことでせうか
それは實際あつたことでせうか
 僕とあなたがかつては愛した?
あゝそんなことが、あつたでせうか。

 あなたはその時十四でした
僕はその時十五でした
 冬休み、親戚で二人は會つて
ほんの一週間、一緒に暮した

あゝそんなことがあつたでせうか
  あつたには、ちがひないけど
どうもほんとと、今は思へぬ
  あなたの顔はおぼえてゐるが

あなたはその後遠い國に
 お嫁に行つたと僕は聞いた
それを話した男といふのは
 至極普通の顔付してゐた

それを話した男といふのは
 至極普通の顔してゐたよう
子供も二人あるといつた
 亭主は會社に出てるといつた

    むつよ

あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
實は僕のほうがしつかりしてると
僕は思つてゐたのでした

ほんに、思へば幼い戀でした
僕が十三で、あなたが十四だつた。
その後、あなたは僕を去つたが
僕は何時まで、あなたを思つてゐた……

それから暫くしてからのこと、
野原に僕のうちの野羊が放してあつたのを
あなたは、それがうちのだとしらずに、
それと、暫く遊んでゐました

僕は背戸から、見てゐたのでした。
僕がどんなに泣き笑ひしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたつて
それはそれは涙のやうな、きれいな夕方でそれはあつた。

   (おまへが花のやうに)

おまへが花のやうに
淡鼠の絹の靴下穿いた花のやうに
松竝木の開け放たれた道をとほつて
日曜の朝陽を受けて、歩んで來るのが、

僕に見えだすと僕は大變、
狂気のやうになるのだつた
それから僕ら磧に坐つて
話をするのであつたつけが

思へば僕は一度だつて
素直な態度をしたことはなかつた
何時でもおまへを小突こづいてみたり
いたづらばつかりするのだつたが
今でもあの時僕らが坐つた
磧の石は、あのまゝだらうか
草も今でも生えてゐようか
誰か、それを知つてるものぞ!

おまへはその後どこに行つたか
おまへは今頃どうしてゐるか
僕は何も知りはしないぞ
そんなことつて、あるでせうかだ

そんなことつてあつてもなくても
おまへは今では赤の他人
何處で誰に笑つてゐるやら
今も香水つけてゐるやら

    初戀集終歌

嚙んでやれ。叩いてやれ。
き出してやれ。
き出してやれ!

嚙んでやれ。(マシマロやい。)
嚙んでやれ。
き出してやれ!

(懐しや。恨めしや。)
今度會つたら、
どうしよか?

嚙んでやれ。嚙んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!

(一九三五・一・一一)      


中原中也 1929 未刊詩篇



出典:中原中也全詩集 P.744 1972 角川書店

注)背戸=(せど)家の裏口 裏門
注)磧=(かわら)水ぎわの石の多い所


改訂:20180518 誤植訂正


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