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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

改訂情報:


- The Alexander Brothers : Nobody's Child リードに加筆, 一部記述変更

- ホセ・カレーラス「光さす窓辺」 対訳付き原語歌詞掲載

2017-11-17

いっしょに歌おう あの 過ぎ去った日々を

今日は、久子 73 回目の誕生日。
ここにはいないので、このごろ覚えた、この歌を贈る。
思いは馳せる…… 元気に歩いた、あの丘、あの堤、あのあぜ道… 遠いあの土地…



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"Maggie - When You and I Were Young"
 マギー - 君と僕が若かったころ


1.
I wandered today all the hill, Maggie,
今日 あの丘を全部 歩き回ったよ、マギー、

To watch the scene below -
下に広がる 景色を見たくて -

The creek and the creaking old mill, Maggie,
小川や きしんで鳴る古い水車小屋をね、マギー、

Well we loue, long ago.
あの 僕達が 愛していたもの、ずっと昔。


The green grove is gone from the hill, Maggie,
緑の木立は もう丘になかったよ、マギー、

Where first the daisies sprung;
あそこ 真っ先に ヒナギクが咲き乱れたね;

The creaking old mill is still, Maggie,
あの きしんで鳴る古い水車小屋は まだあるよ、マギー、

Since you and I were young.
君と僕が 若かったころからね。


2.
They say we are feeble with age, Maggie,
年をとると弱々しくなる といわれるけど、マギー、

My steps are less sprightly than then,
僕の歩みも あのころほど 活発ではなくなった、

My face is a well-written page, Maggie,
僕の顔は よく描かれたページなのさ、マギー、

But time alone was the pen.
でも それを描いたのは時間なんだ。


They say we are agèd and grey, Maggie,
年をとって円熟する といわれるけど、マギー、

The trials of life nearly done,
生きてゆく上の試練は ほぼ終わった、

Let us sing of the days that are gone, Maggie,
いっしょうに歌おう あの 過ぎ去った日々を、マギー、

When you and I were young.
あの 君と僕が 若かったころを。


Since you and I were young.
君も 僕も 若かったからね   。


George W. Johnson, 1864, from "Maple Leaves": 土のちり (Uriah)訳


注)loue (Scots) = love

改訂:20210107 誤字訂正 書く→描く
   20211022 訳語改訂→それを描いたのは時間なんだ。

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2'53"
"Maggie - When You and I Were Young"
Lyrics: George W. Johnson
Comp: James A. Butterfield
Perf: The Alexander Brothers
Ten: Jack Alexander
Acc: Tom Alexander

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この詩を書いた当時学校の先生であった、詩人の George Washington Johnson と、その教え子の "Maggie", Margaret Clark、は恋に落ち、やがて婚約するも Maggie は結核に罹患する。
Johnson は、Maggie の闘病中、一人で近くの思い出の丘を歩き、この詩を書いた。
詩は、時を移し、年老いた詩人が、Maggie に語りかける形に表され、彼女に贈られた。
この詩は、1864 年に出版された詩集 "Maple Leaves" に収められている。
二人は 1864 年 10 月に結婚するが、Maggie は翌 1865 年 5 月に亡くなってしまう。
一年後、Johnson は友人の James Austin Butterfied に、この詩のための作曲を依頼し、できたこの曲は、またたく間に Wrold Standard となった。

スコットランドの曲と紹介されることがあるようだが、Johnson 氏と Maggie さんが暮らしたのは、カナダのトロント。
Johnson 氏は 1839 年生れ、1917 年没。

Ref: https://www.allmusic.com/artist/george-washington-johnson-mn0001674867


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