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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

改訂情報:


- The Alexander Brothers : Nobody's Child リードに加筆, 一部記述変更

- ホセ・カレーラス「光さす窓辺」 対訳付き原語歌詞掲載

2017-04-22

タチアナ・リツコヴァさん J.S.B.“Allegro”


2週間ほど前、12歳当時の、トークと演奏のビデオを紹介したタチアナ・リツコヴァさん、その後の演奏から一つ。

  J.S. バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番BWV1003より “アレグロ”

飛ぶような弾けるような、撥弦楽器特有の響きと相まって、タチアナさんの演奏、明るく、柔らかく、生き生きとしています。

この演奏より4年ほど前に同じ曲を演奏したビデオもありますが、その時の演奏より更に陰影があって、繊細で少しウェットな感じも加わっているようで、素晴らしい。

潤いを得て、バッハが生き返ったかのように、私には聞こえます。

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“ Allegro from Violin Sonata No.2” BWV1003
作曲: J.S.Bach 編曲:Unknown
Gt: Tatyana Ryzhkova

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この曲、本来のバイオリンの演奏で聴くと、私が大の苦手とする、そして、バッハが得意とする ”分散和音” の連続で‥‥‥おそらく芸術性が大変高いのだろうと思いますが、私は聞いていて疲れてしまいます。
連続する分散和音はモダンジャズでもずいぶん聴いて、どちらも、もう食傷の果て。

これは、私が、本来、芸術には興味がない、ということの顕れだろうと思います。

どう考えても、どのような芸術作品も、私は ”エンターテイメント” として味っていると思います。
あるいは、私は ”芸術” というものは、よく解らないし、それ以前に、好きではない、いや嫌いだと言った方がいいくらいです。
特に、新進芸術家と自称するかそう呼ばれる人、あるいはマスコミが、新しい芸術云々と称して、グランドピアノの足をのこぎりで挽いたり、建物を布で包んだりする、そういう類のものを喧伝する時、芸術という言葉自体が嫌になります。

しかし、身の回りにある様々な分野の ”芸術作品” と呼ばれるものに、好きなものはたくさんあるし、好んで味わい、深い感銘を受けたりもします。
私にとって、他の人はともかく、それらは、突き詰めて云えば ”エンターテイメント” である、と云うことです。
おそらく、私が ”芸術作品” に求めているのは、カタルシス(精神の浄化)という、多分に情緒的なものなのだと思います。
そして、作品の中に新しい美そのものを発見したり、分析して新しい美を追求したりするような意味での ”芸術” には背を向けている、それがエンターテイメントの中身なのだろうと思います。


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