これもティーンエージャーの頃、つまり大昔、東京文化会館がオープンした年、バリトンの栗林義信さんが留学中のイタリアから、「リゴレット」に出演するために帰国する、ということが文芸欄の大きなニュースになった。
運よくその入場券を手にできた私は、新装なったホールへ。
当時は、オーケストラがコンサートをやるにも、日比谷公会堂や共立講堂などしかなかったので、この音楽専用の新しいホールの形と響きは衝撃的だった。
そのリゴレット… ジルダを歌ったソプラノが誰だったのか思い出せない。
当時の第一人者 (?) と思われた三宅春江さんではなく、もう少し若手の方だったと記憶している。
良く響くホールの私の席に、予期に反して、コロラトゥーラとはこういう声のことかと思わせる、美しい歌声が届いた。
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実は、私はその少し前ごろから、その当時の日本の〝クラシックの声楽" が嫌いになっていた。
ラジオやテレビで聞く多くの歌手が、喉に力が入って、無理に声を響かせようとしているかのようで、子音が消え、アーオーエーと母音ばかりが響く。どんな歌詞なのか判らないだけでなく、歌っているのが、日本語なのかイタリア語なのかさえ、にわかには判りにくい。
言葉と縁を切った、こもった楽器のようになってしまった ”歌声” には興味が持てず、FM 放送のオペラアワーなどで聞く、多くの外国人歌手たちの歌とは別物のように思えた。
事実、それより少し前、グノーの「ファウスト」の日本語歌詞による公演を見に行ったことがあった。
日本語だからストーリー展開が判って楽に音楽が楽しめる、そう思って気軽に、粗筋にもろくに目を通さずいったのだが… 始まると、ところどころで日本語の単語らしいものが聞こえるだけで、歌詞から、何かまとまった意味を聞き取ることはできなかった。
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リゴレットでは、ジルダの歌う「慕わしい名前」と、リゴレットの歌う「悪魔め、鬼め」、この二つのアリアと、四人の登場人物がそれぞれ異なった歌詞を歌って、一つのコーラスになる「四重唱」が、しっかりと心に焼き付いて、今日に至るまで、オペラというと必ずこれを思い出すようになった。
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ここでは、私の好きなドイツのソプラノ、クリスティーネ・シェファーが演ずるジルダのアリア「慕わしい名前」。
Giuseppe Verdi "Caro nome"
From Opera "Rigoletto"
Christine Schäfer (sop)
Edward Downes (cond), Royal Opera House (orch)