堀 辰雄「風立ちぬ:終章 死のかげの谷」 より
十二月十七日
……
けふも一日中、私は暖爐の傍らで暮らしながら、ときどき思ひだしたやうに窓ぎはに行って雪の谷をうつけたやうに見やっては、又すぐに暖爐に戻って来て、リルケの「レクヰエム」に向かっていた。未だお前を静かに死なせておかうとはせずに、お前を求めてやまなかった、自分の女々しい心に何か後悔に似たものをはげしく感じながら・・・・十二月十七日
……
私は死者達を持つてゐる、そして彼等を立ち去るが儘にさせてあるが、
彼等が噂とは似つかず、非常に確信的で、
死んでゐる事にもすぐ慣れ、頗る快活であるらしいのに
驚いてゐる位だ。只お前――お前だけは歸つて
来た。お前は私を掠め、まはりをさ迷ひ、何物かに
衝き当る、そしてそれがお前のために音を立てて、
お前を裏切るのだ。おゝ、私が手間をかけて學んで得た物を
私から取除けて呉れるな。正しいのは私で、お前が間違つてゐるのだ、
もしかお前が誰かの事物に郷愁を催して
ゐるのだったら。我々はその事物を目の前にしてゐても、
それは此處に在るのではない。我々がそれを知覺すると同時に
その事物を我々の存在から反映させてゐるきりなのだ。
彼等が噂とは似つかず、非常に確信的で、
死んでゐる事にもすぐ慣れ、頗る快活であるらしいのに
驚いてゐる位だ。只お前――お前だけは歸つて
来た。お前は私を掠め、まはりをさ迷ひ、何物かに
衝き当る、そしてそれがお前のために音を立てて、
お前を裏切るのだ。おゝ、私が手間をかけて學んで得た物を
私から取除けて呉れるな。正しいのは私で、お前が間違つてゐるのだ、
もしかお前が誰かの事物に郷愁を催して
ゐるのだったら。我々はその事物を目の前にしてゐても、
それは此處に在るのではない。我々がそれを知覺すると同時に
その事物を我々の存在から反映させてゐるきりなのだ。
十二月十八日
……
……
私はなんだか急に心細さうに雪を分けながら、それでも構はずにずんずん自分の小屋のありさうな方へ林を突切って来たが、そのうちにいつからともなく私は自分の背後に確かに自分のではない、もう一つの足音がするやうな気がし出してゐた。それはしかし殆どあるかないか位の足音だった・・・・……
……
私はそれを一度も振り向かうとはしないで、ずんずん林を下りて行った。
さうして私は何か胸をしめつけられるやうな気持ちになりながら、きのふ讀み畢へたリルケの「レクヰエム」の最後の數行が自分の口を衝いて出るがままに任せてゐた。
歸つて入らつしやるな。さうしてもしお前に我慢できたら、
死者達の間に死んでお出(い)で。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに――私の裡で。
死者達の間に死んでお出(い)で。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに――私の裡で。
Rainer Maria Rilke 1908 "Für eine Freundin"
堀 辰雄 1938「風立ちぬ」より
堀 辰雄 1938「風立ちぬ」より
注)…… の箇所 複数行の省略
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