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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2016-12-28

うつ


二年ほど前、脊柱管狭窄症の手術をした。手術はうまくいき、下肢にあった独特な痛みがとれた。しかし、足のしびれと、10分程度しか歩けないという間歇跛行の症状はそのまま残ってしまった。

2016-12-27

うらさぶる


題詞: 和銅わどう五年壬子じんしの夏四月、長田王をさだのおほきみ伊勢いせ斎宮いつきのみやつかはす時に、山辺やまのへ御井みゐにして作る歌

2016-12-25

チェルシーの唄


玉手箱からまた一つ、懐かしいものが…

45年前のチョコレートのコマーシャル・ソングです。

この曲はいろいろな歌手が歌っているようですが、私は、その当時、ベッツィー&クリスという、ハワイの女子高生のデュオが歌っていたものが好きでした。

ネットで見ると、このチェルシーの唄は、多くの歌手によって長い間… 最近まで?…あるいは今でも?… 歌われているようですが、このシモンズというデュオによるものが最初でした。

この、シモンズの二人は、高校生の頃、二人でベッツィー&クリスの真似をしていたというだけあって、彼女たちとハーモニーの感じがよく似ています。

こういう歌の魅力は、歌唱の上手下手ではなく、飛び跳ねるような、転がるような、うきうきと楽しそうな、そういう雰囲気にあるように思います。

もっとうまく歌っている歌手が何人もいたかもしれませんが、この曲はうまく歌うとかえってつまらない…
このオリジナルが一番、この曲らしい。

それでは、アナタにも…チェルシーのうた!


チェルシーの唄
歌:シモンズ

2016-12-22

霧立ち渡る


大野山おほのやま 霧立ち渡る わが嘆く
息嘯おきその風に 霧立ちわたる

山上憶良やまのうえおくら:万葉集

注)息嘯おきそ = ため息

2016-12-18

中原中也「老いたる者をして」(空しき秋)


「在りし日の歌」より




老いたる者をして


━━━「空しき秋」第十二



老いたる者をして静謐せいひつうちにあらしめよ
そは彼等こころゆくまで悔いんためなり

吾は悔いんことを欲す
こころゆくまで悔ゆるはまことたまを休むればなり

あゝ はてしもなくかんことこそ望ましけれ
父も母も兄弟はらからも友も、はた見知らざる人々をも忘れて

東明しののめの空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく、、、、小旗の如く涕かんかな

あるはまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海のの風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……


反 歌

あゝ 吾等怯懦われらきょうだのために長き間、いとも長き間
あだなることにかゝらひて、涕くことを忘れゐたりしよ、げに忘れゐたりし
 よ……



[ 空しき秋二十数編は散佚して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。]

中原中也 1938 「在りし日の歌」



注)静謐:せいひつ 静かで落ち着いていること
注)涕:なみだ 涙を流して泣く
注)東明の空:しののめ… 夜明け前に茜色にそまる空
注)怯懦:きょうだ 臆病で気が弱いこと


出典:中原中也全詩集 P.182 1972 角川書店


改訂:2016.012.19 初稿に誤記及び出典との差異が目立ったため,タイトル,字配り,改行,かなづかい,旧字体,傍点,などを極力出典に近い形に改め,原典•出典を明記:出典にはないルビを3箇所加筆
2018.05.20 記事タイトル変更(空しき秋)を併記 レイアウト更新
2018.11.23 アイコン不具合修正 行間微調整
2024.12.10 注釈に末梢変更


2016-12-17

田子の浦ゆ(田児の浦ゆ)

 

題詞:山部宿禰赤人やまのべのすくねあかひと不尽山ふじさんのぞみし歌一首 短歌をあはせたり
   反歌

2016-12-15

J-M.Luisada「主よ、人の望みの喜びよ」


一年ほど前、この曲のルイサダの演奏を初めて聴いた。
その時は好感が持てず、この演奏をもう一度聞くことは、たぶんはないだろうと思った。

今日、他の演奏者によるこの曲のタイトルを見た時、ふと、ルイサダの演奏を思い出した。

ルイサダはあの演奏で、広く受け入れられているもの、あるいは私がそう思っているもの、とは、何か別の解釈あるいは表現をしていたのではないか… そんな思いがした。

冒頭の、ゴォーンと響く低音… その印象が強く残っていて、それが、何か違うものがありそうだと思わせた。

あらためて聴く。

∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

この曲、当然、喜びを歌っているのですが、それは天真爛漫な生まれながらに得られる喜びではなく、苦悩、試練、犠牲、などの先に、更になお備えられている喜び… それを歌っているのだと思います。

ルイサダが、左手で、低く重くゴーン、ガーンと叩く音が心の奥に広がり、そのことを改めて思い、目を覚まされたような気がします。


左手は… 呻吟。
右手は………… 天使。



J.S.Bach "Herz und Mund und Tat und Leben, BWV 147"
(Arranged for Piano by Myra Hess)
Pf: Jean-Marc Luisada
6-8 December 2011, Ohga Hall, Karuizawa, Japan

注)この曲を Youtube 等でストレートに聴くと、殆どの再生装置で低音不足となり、この演奏の良さが伝わり難いと思います。
我が家の再生装置も同様で、私は、イコライザ(トーンコントロール)で低音を持ち上げ、目の前にピアノがあるかのようなバランスにして聴いています。

2016-12-10

野いちご


昨日、近くの駅前広場で。

2016-12-07

藤 圭子さん「遠くへ行きたい」改正版


大昔、ジェリー藤尾さんの歌うこの曲がヒットして、毎週のようにテレビで放映され、よく聞いた。

2016-12-06

ここにいてはいけない


食欲はない… がお腹はすく。でも食べたくない。朝起きてコーヒーを飲む、朝食は食べたくないから食べない… 1時を過ぎても、昼食を食べたくない。しかし、……

2016-12-05

むろの木見むごとに

 

題詞: 天平てんぴやう 二年庚午かうご の冬十二月、太宰帥大伴卿だざいのそちおほともきやう みやこ に向ひて道にのぼる時に作る答歌五首
   その二

2016-12-04

R. M. リルケ 「レクヰエム」


堀 辰雄「風立ちぬ:終章 死のかげの谷」 より

十二月十七日
……
けふも一日中、私は暖爐の傍らで暮らしながら、ときどき思ひだしたやうに窓ぎはに行って雪の谷をうつけたやうに見やっては、又すぐに暖爐に戻って来て、リルケの「レクヰエム」に向かっていた。未だお前を静かに死なせておかうとはせずに、お前を求めてやまなかった、自分の女々しい心に何か後悔に似たものをはげしく感じながら・・・・


私は死者達を持つてゐる、そして彼等を立ち去るが儘にさせてあるが、
彼等が噂とは似つかず、非常に確信的で、
死んでゐる事にもすぐ慣れ、頗る快活であるらしいのに
驚いてゐる位だ。只お前――お前だけは歸つて
来た。お前は私を掠め、まはりをさ迷ひ、何物かに
衝き当る、そしてそれがお前のために音を立てて、
お前を裏切るのだ。おゝ、私が手間をかけて學んで得た物を
私から取除けて呉れるな。正しいのは私で、お前が間違つてゐるのだ、
もしかお前が誰かの事物に郷愁を催して
ゐるのだったら。我々はその事物を目の前にしてゐても、
それは此處に在るのではない。我々がそれを知覺すると同時に
その事物を我々の存在から反映させてゐるきりなのだ。


十二月十八日
……
……
私はなんだか急に心細さうに雪を分けながら、それでも構はずにずんずん自分の小屋のありさうな方へ林を突切って来たが、そのうちにいつからともなく私は自分の背後に確かに自分のではない、もう一つの足音がするやうな気がし出してゐた。それはしかし殆どあるかないか位の足音だった・・・・
 私はそれを一度も振り向かうとはしないで、ずんずん林を下りて行った。
さうして私は何か胸をしめつけられるやうな気持ちになりながら、きのふ讀み畢へたリルケの「レクヰエム」の最後の數行が自分の口を衝いて出るがままに任せてゐた。


歸つて入らつしやるな。さうしてもしお前に我慢できたら、
死者達の間に死んでお出(い)で。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに――私の裡で。

Rainer Maria Rilke 1908 "Für eine Freundin"
堀 辰雄 1938「風立ちぬ」より

注)…… の箇所 複数行の省略

2016-12-01

スリー・グレイセス「山のロザリア」


浦島太郎の懐メロ・・・と云われてしまえばそれまでですが、このスリー・グレイセスの歌、実は、きわめて大きな特色、優れた点、があると思うのです。
ハーモニーが抜群!