清泉寮牧草地より、南南東に、富士山。
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清泉寮から富士山が見えるのは、決して偶然ではありません。
1936年(昭和11年)、米聖公会から派遣され、関東大震災後のミッションの復興とそれに続く日本社会の復興に尽力していたポール・ラッシュ博士が、青年指導者育成を目的とするキャンプ場の建設地を探してこの地を訪れた。そして、現在の清泉寮からほど遠からぬ所にあった「美し森 展望台」に立った。
「美し森の展望台に着くとポールはしばらく壮大な景観に見とれた。ふもとはツツジなどかん木の原野がなだらかに広がっていた。背後に八ヶ岳、右手には鳳凰山、甲斐駒ケ岳など南アルプスの高嶺、左手に茅ヶ岳と次々に山の名前が告げられた。何よりも真正面に神々しい富士山がそびえ立っていた。」(井尻俊之著:清里の父 ポール・ラッシュ伝)
ポールがキャンプ場建設地選択の第一条件として挙げていたのが「富士山の見えるところ」であった。
これは、彼が富士山が好きだったとか、もっとも美しい山であるとか、ということだけではなかった。
彼は、日本人が富士山に対して抱いている深い愛着を素早く感じ取り、これをよく理解し大切にしていたといわれる。
彼にとって、新しいキャンプ場が、青年指導者育成の場所として日本の中心となり、海外の同胞とも交流していく場所となるために、その象徴として富士山がそこに見えることが不可欠であったに違いない。
ポール・ラッシュ博士については、昨年12月12日の本ブログで、彼の働きの概略を記しています。
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