天の誘ひ
死んだ人なんかゐないんだ。
どこかへ行けば、きつといいことはある。
夏になつたら、それは花が咲いたらといふことだ、高原を林深く行かう。もう母もなく、おまへもなく。つつじや石榴の花びらを踏んで。ちやうどついこの間、落葉を踏んだやうにして。
林の奥には、そこで世界がなくなるところがあるものだ。そこまで歩かう。それは麓をめぐつて山をこえた向うかも知れない。誰にも見えない。
僕はいろいろな笑ひ声や泣き声をもう一度思ひ出すだらう。それからほんとうに叱られたことのなかつたことを。僕はそのあと大きなまちがひをするだらう。今までのまちがひがそのためにすつかり消える。
人は誰でもがいつもよい大人になるとは限らないのだ。美しかつたすべてを花びらに埋めつくして、霧に溶けて。
さやうなら。
どこかへ行けば、きつといいことはある。
夏になつたら、それは花が咲いたらといふことだ、高原を林深く行かう。もう母もなく、おまへもなく。つつじや石榴の花びらを踏んで。ちやうどついこの間、落葉を踏んだやうにして。
林の奥には、そこで世界がなくなるところがあるものだ。そこまで歩かう。それは麓をめぐつて山をこえた向うかも知れない。誰にも見えない。
僕はいろいろな笑ひ声や泣き声をもう一度思ひ出すだらう。それからほんとうに叱られたことのなかつたことを。僕はそのあと大きなまちがひをするだらう。今までのまちがひがそのためにすつかり消える。
人は誰でもがいつもよい大人になるとは限らないのだ。美しかつたすべてを花びらに埋めつくして、霧に溶けて。
さやうなら。
立原道造 1914−1939 拾遺詩篇より
注)石榴=ざくろ
出典:立原道造詩集 1988 岩波書店
改訂:2024.05.10 旧仮名遣い補完:
ちょうど→ちやうど, 笑い→笑ひ, だろう→だらう, さようなら→さやうなら
ちょうど→ちやうど, 笑い→笑ひ, だろう→だらう, さようなら→さやうなら
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