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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2017-01-16

中原中也「一夜分の歴史」


中原中也「未刊詩篇」より




一夜分の歴史


その夜は雨が、泣くやうに降ってゐました。
瓦はバリバリ、煎餅かなんぞのやうに、
割れ易いものの音を立ててゐました。
梅の樹に溜った雨滴は、風が襲ふと、
他の樹々のよりも荒っぽい音で、
庭土の上に落ちてゐました。
コーヒーに少し砂糖を多い目に入れ、
ゆっくりと掻き混ぜて、さてと私は飲むのでありました。

と、そのやうな一夜が在ったとゐふこと、
明らかにそれは私の境涯の或る一頁であり、
それを記憶するものはただこの私だけであり、
その私も、やがては死んでゆくといふこと、
それは分り切ったことながら、また驚くべきことであり、
而も驚いたって何の足しにもならぬといふこと……
――雨は、泣くやうに降ってゐました。
梅の樹に溜った雨滴しずくは、他の樹々に溜ったのよりも、
風が吹くたび、荒っぽい音を立てて落ちてゐました。


中原中也 1937 (推定)「未刊詩篇」


出典:中原中也全詩集 P.824 1972 角川書店

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