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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

改訂情報:


- The Alexander Brothers : Nobody's Child リードに加筆, 一部記述変更

- ホセ・カレーラス「光さす窓辺」 対訳付き原語歌詞掲載

2017-01-11

続・続・Joan Baez「Donna Donna」


人間の食糧にされるために、市場に運ばれる馬車の上で、自らの運命を悟って泣く子牛に向かって…

"But whoever treasures freedom like the swallow has learned to fly. "

なぜ、これでは嫌なのか?


なぜ?
私には、「飛ぶことを既に学び終わっているものだけが、ツバメのような自由を得ることができる」と聞こえ、それを学んだことなどない私は、突き放されたように感じる。

"But whoever treasures freedom like the swallow must learn to fly. "

なぜ、これならいいのか?
私には、「ツバメのような自由が欲しければ、飛ぶことを学ばなければならないんだよ」と聞こえる。

子牛には、こう言う余地がある「私にも、飛ぶことを教えて!」と。

∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

ネット上でさらに調べてみたところ、Yiddish 語の原詩の逐語訳であるかのような訳詩を見つけた。
その、最後の節を引く。

Calves are born and soon are slaughtered
With no hope of being saved.
Only those with wing like swallow
Will not ever be enslaved

結語が "not ever be enslaved" となっていて腰砕けの感があるが(enslaughterd の誤記ではないのか?)、それはともかく、ここでははっきりと、「ツバメのように羽を持ったものだけが」と限定している。

この引用の英語の逐語訳を正しいとすれば、2つある英語訳のうち、Joan Baez 版の has learned to fly が、より原詩に近いと言える。
もし、この2つの訳の違いを、時制が異なるだけ、としてしまうと、詩というものが成立し得ない。

∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

この歌の元歌がユダヤの歌であることを1年ほど前に知った。
同時に、この歌の歌詞をホロコーストに対するメタファーとして解釈する聴き方のあることも知った。
いずれにしても、この歌を、もうこれ以上深く知りたいとは思わない。

ただ一つ、キリスト教的な "救い" は、やはりユダヤには無い、という当たり前のことを、改めて思い知らされた。


改訂:2024.04.17 レイアウト更新, 末梢表現変更



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