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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

改訂情報:


- 二人乗り自転車の歌 重要: たくさん分かち合う→運命を共有する (韻に託けて文法無視で意訳した前訳を改訂)

- ホセ・カレーラス「光さす窓辺」 対訳付き原語歌詞追記

2019-03-05

名ぐはしき

 

題詞:柿本朝臣人麿かきのもとのあそみひとまろの筑紫国つくしのくに に下りし時に、海路かいろにして作りし歌二首 その一

 
 
 
名ぐはしき 稲見いなみの海の 沖つ波
  千重ちへかくりぬ 大和島根やまとしまね


柿本人麿かきのもとのひとまろの:萬葉集 303




注)名ぐはしき=〔名細し/名美し・形シク・連体・名が美しい/名高い〕うるわしい名前の
注)沖つ波=沖+つ〔各助・上代語・の〕+波 = 沖の波

特注)稲見=出典および参照ともこの地名を "印南" としているが、万葉仮名の原文では "稲見"。

  原文:名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者

稲見の地名は現在も、兵庫県加古郡稲美町として残っている。
出典等が書き換えた "印南" の地名は稲美町の中の一地域の地名として今もある。
しかし、柿本人麻呂が "麗しい名の稲見の" と記したものを、こともあろうにその麗しい名前を、なぜ印南と書き換える必要があるのか、何の説明もない。
千年を超える年月を経て、その地名が残っていようがいまいが、その場所がどこであろうが、作者が "名ぐはしき稲見の" と、名前が美しいと歌っているのであるから、そのまま "稲見" と読み下すのが当然、それ以外はないと思うが……。
原典を尊重せず主要な語を書き換えてしまうにいかなる理由があるというのか?全集の編集者はこの歌の作者よりエライのか?
本ブログでは原文どおり "稲見" で記します。


出典(参照):新日本古典文学大系 萬葉集1 2000 岩波書店 (大系)
参照:新編日本古典文学全集 萬葉集1 1999 小学館 (全集)
小学館 全文全訳 古語辞典 2004 小学館 (全文)


改訂:2019.03.05 誤植修正末梢加筆

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