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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

New ! :改訂情報


ホセ・カレーラス「光さす窓辺」歌詞掲載  対訳付き原語歌詞を追記しました (1連のみ)

2019-04-07

"花嫁人形" 小柳ルミ子さん : 続々々 ここにいては…


金襴緞子きんらんどんすの帯びしめながら 花嫁御寮はなぜ泣くのだろ……
最良の介護サービスに恵まれながら…… 浦太郎はなぜ、どこへ、ゆくのだろう……



いなかへ!

40年近く前、ごみごみとした都会から移り住んで、土と空に親しんだ第二の故郷、坂戸、そのいなかへ。

畑、あぜ道、雑木林や丘陵、川とかわらと、そして、夕焼けと、さやかな星々。
古い記憶を美化して数え上げているのではありません。
そこには、過酷な病の記憶を呼び戻すなにものもなく、ひたすら前を向いて歩めそうな気がしています。
引越予定は連休末の2日と翌日の3日間。
まだ日があるとはいえ、先走って天体望遠鏡を物色してみたり、引越先ではPC、モニター、オーディオの接続をワイアレス化しようと頭を悩ませてみたり、その実引っ越すという現実から逃避しているような…… 行きたくもあり行きたくもなし…… それで、花嫁御寮も浦太郎も心の中は泣きの涙。

転居するのは、"ここにいてはいけない" のが主な理由なのですが、それではここの生活を嫌ってよそに行くような印象を与えてしまいそうです。
そうなると辛いのは、家族のように接してくださった介護サービスの方々に言い訳が立たないこと。
しかし、人生とは難しいもので、本人の意思とはうらはらな様々な理由があったりします。

 …… 泣くに泣かれぬ 花嫁人形は 赤いかのこの 千代紙衣装

どうか、ここが嫌でよそに行くのではないこと、ご理解あれかし。


∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥


小柳ルミ子さんの歌で "花嫁人形"。


Brava !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(中程のスチールギターによる間奏は Boo!!!!!!!!!!!!!

3'30"
"花嫁人形"

作詞:蕗谷 虹児ふきや こうじ
作曲:杉山長谷夫
歌:小柳ルミ子
アルバム "あしたも日本晴れ" より


金襴緞子きんらんどんすの 帯しめながら
花嫁御寮はなよめごりょうは なぜ泣くのだろ

文金島田ぶんきんしまだに 髪結いながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

あねさんごっこの 花嫁人形は
赤い鹿の子の 振袖着てる

泣けば鹿の子の たもとがきれる
涙で鹿の子の 赤い紅にじむ

泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
赤い鹿の子の 千代紙衣装ちよがみいしょう

∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥

この歌を童謡とするのは適当ではないと思います。

Wikipedia より:
「(この)詩は雑誌『令女界』の大正13年(1924年)2月号に詩画として掲載されたもので、完成経緯については蕗谷虹児が後に朝日新聞の談話で次のように語っている。」
「当時、西条八十さんの詩に私と加藤まさを氏が交代でさし絵をかいていた。ある日、神田の雑誌社で詩ができるのを待っていたが、締め切り間際になっても届かない。編集者が何とか代作してくれという。そこで、二時間ほどで詩とさし絵をかき、急場を間に合わせた。それが花嫁人形。」


注)鹿の子=かのこ. 元の意は鹿の子供 転じて 鹿の子絞り=絞り染めによる模様の一種 多くは白地に小さな点状の模様が子鹿の背のまだら模様のごとく並ぶ(俗解)
注)『令女界』=宝文館が発行していた雑誌。1922年(大正11年)創刊、1950年(昭和25年)に休刊。 女学校高学年から20歳前後の未婚女性を主な読者対象としていた。(Wikipedia)


改訂:2020.07.05 浦島太郎→浦太郎


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