このクリップの歌と画像はそれぞれ "雪" を歌い映していますが、相互の脈絡は全くなく、汽笛や列車の走行音が歌声を妨げたりさえしています。
それでも、このビデオクリップで聴くと、なぜか、この歌がより味わい深く聴こえます。
それでも、このビデオクリップで聴くと、なぜか、この歌がより味わい深く聴こえます。
この歌も蒸気機関車の走る風景もノスタルジーに過ぎないよ、と言われてしまえばそれまでなのですが……
でも、それだけではない素晴らしさがこの歌と画像にはあって、引きつけられます。
何が素晴らしいかって? 言葉で表しにくいのですが、あえていえば‥‥
この、画像と音がバラバラだったり画像が縦長に歪んだりもして決して上質とはいえず、また珍しいわけでもなく、古い記憶の断片を寄せ集めたかのような動画‥‥ それがそんなに "素晴らし" のは、うまく言えそうもないのですが… まず、その一見無造作のような画像が歌われている間中続くこと、それがいい。
上手に撮ったもっともらしいステレオタイプの画像を歌に重ねられるよりずっといい、何倍もいい。
ポイントは先にも触れた「無造作」。より的確にいえば「無作為」。歌を聴く私とその歌との間に、動画の作者が何らかの操作で余計な介入をしてこない、そういう意味での無造作、無作為。
そのおかげで、私は自分の勝手なノスタルジーにたっぷり浸れるというわけです。
では、それなら画像は何でもいいのか、というとそうではありません。
無造作に見えるのは一見そのようであるだけで、その見せ方にはビデオ作者の優れたセンスをかいま見ることができます。
歌が歌われている間は、一見無造作のようなカットが続きます。
耳は歌声を、目は画面のSLと雪を追い、気がつけば心は、在りし日への思いをあれこれ勝手気ままに馳せている。
歌詞を歌い終わりハミングに変わると画面は遠ざかる列車を映しながらフェードアウト。
画面はここから、一風変わったカットのつながりを見せます。
ハミングが続く間の、エンドマークの代わりのような作者クレジット画面と、アダモの超アップの顔と、走り去る列車の最後尾と、その後の駅構内の雪景色と、最後のか細く消えゆく汽笛。
これが、なんともシュールに感じられて好ましいのです。特にラストシーンの "駅構内の雪景色" には唸ってしまいます。中原中也の雪の詩のあれこれを思い出したりもします。
このビデオクリップの作者が、どこまでそのような意図を持って演出したものなのか、はたまた何か他の理由でそのようなカットの並びになっているのか、持って生まれたセンスで直感的に仕上げたのか…… 。
突如カットが変わり、走り去る列車の最後尾が目の前を通り過ぎ、残された積雪の駅構内とおぼしき風景に小雪が舞い、去りゆく列車の余音…… 消えゆくハミング…… 遠くで響き消えてゆく汽笛……。
小雪が静かに、ただ降る…… "blanche solitude (白い孤独)"。
∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥
Bravo !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
3’13“
"Tombe la neige"「雪が降る」
Lyrics&comped by:Joseph Elie De Boeck / Oscar Saintal / Salvatore Adamo
Vocal.: Salvatore Adamo
Vocal.: Salvatore Adamo
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