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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2022-04-24

"浜千鳥" Pop-Opera Duo: Hue (ヒュー)


かなり理屈っぽい訳ありの末、好きになった曲… 浜千鳥。
多くの歌手がこの歌を歌っていますが聴くに堪える歌唱は皆無… 長い間そう思っていて記事をアップできず残念だったところに韓国のデュオ "Hue" の二人による断トツに素晴らしい歌唱と遭遇…… 感謝!


今まで何度も、そしていろいろな曲について、聴くに値する歌唱がないあるいは見つからないと書いてきました。もちろんこのような簡単な記述に "絶対にない" とか "どこを調べてもない" という断定的な強い意味を込めてはいませんが……
そんな、苦い思いで聴くのを諦めていたこの浜千鳥の歌を、"Hue" のお二人が大変素晴らしい歌唱を聴かせてくれています。
歌詞の明瞭な発音、美しい声、そして特筆に値する心地よいハーモニー、これは日本の歌における金字塔、宝です。
そして日本で広く親しまれている曲をとても良い選曲でたくさん歌ってくれていて、それらの多くはそのれぞれの歌の最も素晴らしい歌唱だと思います。
それを知らずに "良い歌唱がない" などと書いてきたのですから、謝るほかありません。
そのように誤った記述のありましたこと、お詫びして訂正致します。

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  浜千鳥

   青い月夜の浜辺には
   親を探して鳴く鳥が
   波の国から生まれ出る
   濡れた翼の銀の色

   夜鳴く鳥の悲しさは
   親をたずねて海こえて
   月夜の国へ消えてゆく
   銀のつばさの浜千鳥


終始メルヘンチックで非現実的な修飾語が並び、初見では現実回避の飾り物、言葉の遊びの域を出ない印象。
にもかかわらず、それとは裏腹に何か強く訴えてくるものを感じました。
それはなぜ、なに?
あるいは非現実的でリアリティの薄い言葉が並んでいるからこそ、かえって訴えるものが際立っているとも言えそうです。

この詩の味わいは、浜千鳥とは作者自身の姿なのでは… と気づいた時に始まり、そしてこれが単なる言葉の遊びではないことが判ってきます。

中原中也のある著作に「そのものを以って表すな」という意味の言葉がありました(出典は失念)。
そもそも、形容するとは「物事を他の形をかりて表現すること。たとえて表現すること。比喩。また、物事のかたち、有様をいいあらわすこと。(精選版 日本国語大辞典:コトバンク)」とある。

キーワードは言わずもがなの「親を探して (たずねて)」。この二つの語句だけが現実の事象。その他の語はその現実(主題)を修飾あるいは叙述して形容し象徴する語。そしてそれら周辺の語句は現実の生々しさを伴わない方がより主体を際立たせ明確にするといえます。
浜千鳥の語も特定の鳥の名ではなく、浜辺に生息するチドリ科の数多い種類の鳥の総称として用いられているとのこと。これもまた鳥の種類による固有の現実と結びつかず主体を浮かび上がらせるに寄与しています。
そして浜千鳥は、コチドリでもシギでもなく…… 作者自身。
鳴秋の俳号を名乗る作者にとって浜千鳥は冬の季語であり、それはまた萬葉の頃からの枕詞であって、砂浜につける足跡から "あと" "筆跡" "手紙" などに掛かる。
この “親を探し尋ねる…” という、万人にとって根源的な願いを、当時作者が自ら刊行し編集する雑誌 “少女号” に載せるための歌に読み込んだものと考えられます。
このように、少女を直接的な対象として創られたというところに、おとぎの国の浜千鳥という虚構に自らの悲しさを埋め込んだ作者の意図が「そのものを以って表すな」というミッションを完遂させる結果となったと言えるように思います。

注)童謡ではない歌に、具体的な意味のない、かざりでしかないような、歯の浮くような、等々の言葉をたくさん並べた歌を耳にすることがありますが、それらに対してここに書いた内容を適用するのは、微妙な場合もありますが、概して無理だと思います。

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以下、柏崎観光協会WEBサイト「浜千鳥の碑」より引用:
http://www.uwatt.com/spot/470v
青い月夜の浜辺には…で始まる童謡「浜千鳥」の歌は、大正八年鹿島鳴秋によって作られ、今も日本の抒情歌の名曲として歌い継がれています。
この詞は、鳴秋が柏崎に住む旧友を訪ねた折、裏浜から番神の海岸を散歩しながら、初夏の海の印象を歌にしたものと云われています。
大正九年、弘田竜太郎によって作曲され、全国的に愛唱されるようになりました。
浜千鳥の碑は、最初は昭和36年に海岸公園(現在アクアパーク駐車場)に建碑されましたが、現在は「みなとまち海浜公園」内に移設されています。

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鳴秋氏は、六歳の時父が家出し母は再婚して他家に嫁いだので祖父母に育てられ、やがて祖父が他界し祖母も二十一歳の時世を去ったと言われています。
このような生い立ちから、親を探し尋ねる「浜千鳥」に自らの心境を投影したものであるように思われます。
なお、千葉県公式観光物産サイト「浜千鳥の歌碑」のページに「(亡くなった)愛娘を偲んで童謡『浜ちどり』の歌を作られた」との記述がありますが、「浜千鳥」が発表されたのが大正9年(1920年)、一人娘の昌子さんが亡くなったのが昭和6年(1931年)ですから、事実の誤認または無視による不当な記述と言わざるを得ず極めて遺憾です。

注)本項の作者来歴の記述は池田小百合氏のホームページ「池田小百合 なっとく童謡・唱歌」の「濱千鳥」のページを参照させて頂きました。大変史料価値の高いページで感服しました。
https://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00hirota2.htm#hamachidori

以下、千葉県公式観光物産サイト「浜千鳥の歌碑」より引用:
https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/8724

浜千鳥の歌碑は、作詞者鹿島鳴秋が南房総市和田町を愛し度々療養中の愛娘をつれ訪れていました。後に、家族ともども和田町に移り住みました。療養のかいなく愛娘は亡くなりました。愛娘を偲んで童謡「浜ちどり」の歌を作られたとされています。弘田龍太郎の作曲のもと大正9年(1920年)の雑誌少女号の正月号に発表され世間に流布されました。
昭和41年3月(1966年)に花園海岸の松林の中に高さ1mの黒御影石の碑石に浜ちどりの歌詞が刻まれ在りし日をしのび建てられました。

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以下、Facebook Account "Hue 風を感じて@duethue" より引用

Pop-Opera Duet : HUE
ポップ・オペラ・デュエット: ヒュー

Hue「ヒュー」
『Hue[休:ヒュー]』の名前には、韓国語の "休(休息、安らぎ)" と、英語の "HUE(色彩)" の意味が含まれていて、HUEの音楽を聞くすべてのひとを癒しと安息の世界に導きたいという 願いが込められています。
時には甘く、時にはパワフルにあらゆるジャンルの音楽を再解釈し、ジャンルの垣根を越えた音楽活動で私たちに深い感動と愛を伝えている『Hue』は キム・ジヒョン(ソプラノ)とリュ・ムリョン(テノール)により、2005年末韓国初の混声ポペラ・デュエットとして結成。
現在は韓国と日本で精力的に活動しています。

*ポペラ(POPERA)とは、ポップス(POPS)とオペラ(OPERA)の造語。

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 Bravo !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2'35" 
ヒューのアルバム「日本の歌」より ”浜千鳥_a Plover”
作詞: 鹿島鳴秋
作曲: 弘田龍太郎
Pf : 夏川由紀乃
歌: ヒュ(Hue)
Sop: キム・ジヒョン
Ten: リュ・ムリョン
イラスト: UYAOWL


注)記事冒頭で「多くの歌手がこの歌を歌っていますが聴くに堪える歌唱は皆無…」としている点を簡単に説明します。
・大半の歌手がこぶしを効かせて歌う
 例:「あおいつき〜よオの〜」と歌う時の "オ"。
・オペラ歌手による歌唱もいくつか聴くことができますが、このような曲をオペラハウスの客席の隅々まで響かせる発声法で歌うこと自体が問題。そこに童謡や唱歌の "歌" は存在せず歌唱を誇るがごとき歌い手がいるだけ。


改訂:2022.04.25 ビデオクリップ埋め込みコマンド・ラインのエラーを修正


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