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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2020-01-09

藤圭子さん "琵琶湖周航の歌"


二十年ほど前、琵琶湖湖畔の今津に転居しました。まさに琵琶湖湖畔、それも鴨の漂う今津浜へ徒歩数分の住居で、夢のひとつが叶ったかのようでした …… が、しかし ……



…いろいろあって、三カ月足らずで古巣の坂戸に舞い戻って来ました。
しかし、今津、いいところでした。対岸の長浜も、竹生島も、伊吹山の眺めも、隣町の高島も、みな懐かしい……

坂戸に戻るとき大変お世話になった、当地の M.K. さん…… あぁ、 時は全てを流し浄化し忘却の彼方へ押やろうとします… しかし、そうはさせじ、この老いの記憶は未だ鮮烈です、ありがとうございます。

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この歌、コーラスなどで聴いていて好きな曲だったのですが、ある女流歌手がほろ酔いかげんの鼻歌のごとき不愉快極まりない歌い方で歌ってそれがヒットし、それをまた年寄りの舞台俳優が酔っぱらいの独りよがりのように歌っているのを聞いて、"聴いて" ではありません、ほとほと嫌になってしまって以来、この曲を聴くことを長い間避けていました。
今日、先日聴いた藤圭子さんの「ゴンドラの歌」の歌唱を思い出し、彼女ならきっとこの歌をじっくりと歌ってくれるに違いないと思い、探し、見つけました。

藤圭子さん、歌詞の語尾もしっかりと発音し、高らかに歌い上げます。
だから、歌詞が心に突き刺さってきます。
そして、終始ハーモニカがリードする伴奏がまた、アウトドアの雰囲気を高めています。


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しかし、この詩… 小口太郎さん、19歳のときにこれを書き27歳で夭逝してしまったエンジニア、の作。
じっと手を見てしまう、浦太郎……


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琵琶湖周航の歌


われはうみの子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧さぎりや さざなみの
志賀の都よ いざさらば

松は緑に 砂白き
雄松おまつが里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや

波のまにまに 漂えば
赤い泊火とまりび懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か

瑠璃るりの花園 珊瑚さんごの宮
古い伝えの 竹生島ちくぶじま
仏の御手みてに いだかれて
眠れ乙女子 やすらけく

矢の根は深く うずもれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり たたずめば
比良ひらも伊吹も 夢のごと

西国十番 長命寺
けがれの現世うつしよ遠く去りて
黄金こがねの波に いざがん
語れ我が友 熱き心


小口太郎 1918


注)(旅に) し=〔副助〕(主語や連用修飾語につく・強意) (全文)… (旅に)こそ
注)狭霧= 霧,「さ」は接頭語 (大辞泉)
注)雄松= 黒松の別名 対:雌松 (大辞泉)
注)(泣く) とかや= とか〔連語•不確定な推量を表す〕+や〔係助詞•疑問〕(全文):… (泣く) のだろうか(土のちり)
注)泊火= 湖に向けて掲げられた灯火•灯台 (土のちり)
注)懐かしみ=〔懐かしむ•他動四・連用〕懐かしく思う(全文)
注)瑠璃= 七宝の一つ, 青色の美しい宝石(大辞泉)
注)やすらけく=〔やすらけし•形ク•連用〕安らかである, 穏やかである (全文)
注)西国十番 長命寺=長命寺は西国第三十一番札所の寺であるとされ、小口氏が「語呂合わせ」のため十番としたなどといわれているが、仏教にも造詣が深かったと思われる氏が、語呂合わせのために札所番号を偽るとは考えにくい。
これには、次に部分引用する「西国観音霊場の先達資格を持っているもの」と称する方の記述に説得力がある。

『中世以降の京都人が京都から始めて三室戸で満願するとすれば、「1番が六角堂、2番が革堂、3番が六波羅蜜寺・・・」と近場から巡礼して近江国に進み、「8番目が石山寺、9番目が三井寺、10番目が長命寺」となります。
多分古い京都人は、関東人仕様の「お伊勢参りの続きでの、1番那智山~・・・」というナンバリングを良しとせず、自分達の巡礼順の伝統を持っていて、それを伝え聞いた「旧制三高学生」の小口太郎氏が意を汲んで「西国10番長命寺」と表現したのではないかと思います。』(彦根トピックス- 彦根地方の小さなニュース より引用)

要するに、京都あるいはその周辺の人々にとってはローカルな札所番号があり、それによると「西国十番 長命寺」となる。小口氏はそれを歌ったと思われる。(土のちり)



参照:小学館 全文全訳 古語辞典 2004 小学館 (全文)
大辞泉 1995 小学館 (大辞泉)



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 Brava !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

4'21"
"琵琶湖周航の歌"
歌: 藤 圭子
作詞:小口太郎; 作詞時は三高2年生で19歳
作曲:吉田千秋

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


小口太郎(おぐち たろう、1897年(明治30年)8月30日 - 1924年(大正13年)5月16日)は、長野県岡谷市生まれの科学者、歌人。第三高等学校、東京帝国大学理学部物理学科卒業後、同大学航空研究所入所。大学在学中に電信電話に関する発明をし、日本を始め諸外国に特許申請をし、許可を得ている。
科学者以外の彼を有名にしたのは、「琵琶湖周航の歌」の作詞者としてである。1918年、三高ボート部員として琵琶湖周航中、故郷諏訪湖に思いを馳せながら詩情豊かに作詞した「琵琶湖周航の歌」は、吉田千秋(新潟出身、歴史地理学者吉田東伍の次男)の「ひつじぐさ」の原曲により現在まで広く歌われ続けている。この二人はお互いを知らず、それぞれ26歳と24歳で死去している。

出典: 新潟市秋葉区ホームページ


吉田千秋: 千秋は吉田東伍の二男として大鹿で生まれましたが、父が東京で仕事をしていたため、彼と兄弟姉妹は東京と祖父母のいる大鹿とで学校時代を過ごしました。
 彼は言語、地理、天文、動物学、植物学、博物学、園芸学などに興味を持ち、11歳から自筆小冊子「SHONEN」や緻密な挿絵入り「動物分類学」等を作りました。7ヶ国語使用、海外文通、ローマ字について学者と誌上論争、「やまとことば」や方言の研究もしました。
 肺結核のため入院した南湖院でキリスト教と讃美歌に触れ、作曲を学び投稿するようになりました。英詩を翻訳し自作の曲をつけた「ひつじぐさ」が「音楽界」に掲載されたのは20歳の時です。帰郷してから友達と手作りした回覧誌「AKEBONO」には地域の園芸史を見直すきっかけとなった彼の記述も残されています。大鹿教友会で讃美歌の指導をしていた彼の作曲「ふるさと近し」はその後何年も歌い継がれました。
 23歳の秋に彼は東京での治療から帰り、出迎えてくれた祖父母に挨拶しました。「どうせ死ぬんなら大鹿でと思って帰ってきました。」
 「ひつじぐさ」のメロディーが「琵琶湖周航の歌」となったことを知らずに彼は24歳になったばかりで世を去りました。


改訂:2020.01.13 吉田千秋氏引用記述加筆
2020.01.14 詳細注釈加筆
2020.07.06 末梢レイアウト変更
2020.12.25 冗長行削除, 狭霧注釈改正, 雄松注釈加筆
2023.10.01 末梢表現変更 レイアウト微調整


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