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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の, こだまし, 雲に入り, 野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2025-01-06

久保田広子さん (ダ・カーポ):花かげ


「十五夜お月さまひとりぼち 桜吹雪の花かげに … 」

この歌には単なる "好き" を超えて大変興味を引かれ、その歌詞に漂うシュールな雰囲気を楽しんでいました。
そして今日、DA CAPO の久保田広子さんの素晴らしい歌唱に巡り合いました…


他にも良い歌唱がいくつかありますが、それらのなかでひときわ、優しくあたたかく、斬新な伴奏と心地よいリズムにのって響きます。


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私にも姉がいて、実際遠方に嫁いだのですが、この歌を聴いてそれを思うということはありませんでした。それが全くないと言ったら嘘になりますが、自分のことでは山ほどの苦悩や心配ごとがあっても、姉は幸せを具現したうらやましい存在でしたから、この歌の二番三番の歌詞にあるような感傷とはまったく無縁でした…
しかし、嫁ぎゆく別れから長い年月を経て、その姉がまだ若くして他界してからは、この歌… ひたすら愛おしく思われます。

昔、この歌に興味を引かれたのはその一番の歌詞。
これは一見すると "シュール"。逆にシュールという語を目にすると、この歌詞を思い出していました。

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの お姉さま
くるまにゆられて ゆきました

若い頃から近年に至るまで、この一番の歌詞だけがなぜか頭にあって、なんだろ、どういう歌なんだろう、と思っていました。 童謡として歌い継がれているのだから、そんなに重い内容が謳われているはずはない… との思いもあって行間に踏み込みたくなかった、深読みを避けていたとも言えます。
ネット上で気軽に音楽が聴けるようになってから、この歌の全曲を聴いてみて、ようやくその意味するところが明らかになりました。

後続の歌詞は一番の歌詞の謎解きで、それゆえ具体的、直情的。
味わいはやはり一番の歌詞にあります。

この四行詩、各行が独立した一つの意味を持ち、その四つを描き分ける切れ味がするどい。
二行目、三行目、四行目とつづく、その並びに何の必然性も感じられぬ描写が不意打ちのごとくつづく。
その行間に、想像力をかきたてられます。
それが「手術台の上のミシンとこうもり傘の出会い」のような、理性の支配を超える "シュール" のおもしろさに通ずる、と思いそれを楽しんでいました。

しかしそれも、後続の歌詞で "謎解き" がされると一番の歌詞のシュールな味わいが失せ、"省略" という一般的な表現技法の一つが持つ魅力に還ります。
といって、この歌の魅力は何ら損なわれることなく、私の心貧しい生涯に豊かなひとときを与えてくれています。


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  花かげ


十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの お姉さま
くるまにゆられて ゆきました

十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの 姉さまと
お別れ惜しんで 泣きました

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の お姉さま
わたしは一人に なりました


作詞 大村主計


出典:「花かげ」歌碑:山梨県山梨市 (ルビ加筆:土のちり)

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 Brava !!!!!!

3'31"
"花かげ"
作詞:大村主計 (1929)
作曲:豊田義一
歌唱:久保田広子 (ダ・カーポ)



初版:2019.02.06

改訂:
2019.03.01 作詞年1929追記
2025.01.02 補遺改訂版:埋込動画変更,シュールについて加筆,抹消表現変更,ラベル追加
2025.01.03 歌手名を追記改題,リード誤記削除
2025.01.06 埋込動画変更
2025.01.07 リード末梢変更


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