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Cogito


東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2023-09-12

かぎろひの 立つ見えて


題詞:軽皇子かるのみこ安騎あき の野に 宿やどらせる時に、柿本朝臣人麿かきのもとあそみひとまろ が作る歌(萬葉集45 長歌)
それへの反歌四首 その三

*本稿は 2017.4.20 投稿記事に題詞を加筆し注釈を大幅に増補して新たな記事としています。



ひむがしの にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ

柿本人麿かきのもとひとまろ:萬葉集 48


注)かぎろひ = 何をさすか不明。一般に陽炎を意味するが、それは主に春夏の景物であり (1047)、歌趣に合わせて日の出直前の東方の茜色の光などとする説は類例に欠ける。なお、カギロヒにはモユというのが普通。(全集)
注)陽炎 = かげろう(辞典)
注)この歌はカギロヒが、東の "野" に "立つ" と謳っている。カギロヒを "東方の茜色の光" とすると、その光は、東の方にある "野"(局地的な場所)に "立つ"(はっきり現れる、上がる、起きる、登る)の意となってしまい、これを茜色の空の表現と捉えるのは無理。よって、それを日の出前に赤く染まる東の空と解して西に沈む月と直接的に対比させる解釈は受け入れ難い。むしろ、野の水面や湿った大地からのぼる霧などが朝日に映える様子などに類するものと捉える方がより自然で豊かではないか。そう捉えてもなお、時は明け方でありのぼる日の光が詠まれていて、沈みゆく月との対比が際立つ。(土のちり)
注)人麻呂の名歌として親しまれている。しかし、本当にこういう形の歌だったという保証はない。ここに示した訓み下し(注:下記*)は賀茂馬淵の案出したもので、彼以前の訓みは「あずま野のけぶりの立てる所見てかへりみすれば月傾きぬ」。馬淵の訓み方ががあまりにも見事なために、疑問を残しながらも下手に手が出せないというのが正直なところである。既に馬淵の訓(万葉考)によって定着しているのでその名訓を掲出しておくが、訓詁学の立場からは「未解読歌」に属する。(大系)
*新日本古典文学大系が掲載するこの歌の訓み下しは上記新編日本古典文学全集のそれのうちの漢字 "傾" を仮名書している点でのみ相違する。


出典:新編日本古典文学全集 萬葉集1 1999 小学館(全集)
参照:小学館 全文全訳 古語辞典 2004 小学館(辞典)
新日本古典文学大系 萬葉集1 2000 岩波書店(大系)


改訂:2023.09.21 誤植修正
2023.10.27 新日本古典文学大系のこの歌の解説を 注) に追記


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